韓国彫刻史の最高傑作で、日帝強制占領期(日本の植民地時代)に日本に搬出された百済時代の金銅観音菩薩立像が最近公開された事実が伝えられると、国立中央博物館や文化財庁など関連機関は仏像の所蔵者側との返還協議に乗り出す意向を明らかにした。
ペ・ギドン国立中央博物館長は5日、ハンギョレとの通話インタビューで「111年前にこの仏像と一緒に忠清南道扶余(プヨ)の窺岩里(キュアムリ)から出てきた金銅観音菩薩立像が、現在国立扶余博物館にある。必ず韓国に戻され扶余博物館に収まらなければならないものだと思う」とし、「文化財庁と協力し、多角的な経路を通じて日本の所蔵者側と協議を進めていく方針」だと話した。博物館が名乗り出て返還に向けた交渉を推進するという意志を示したということだ。
彼は「具体的な部分までは言えない」とし、「博物館は以前からこの仏像の所在と現在の状況を把握するために、相当の努力を傾けながら所蔵者側の動きも注視してきた」と伝えた。さらに「仏像の歴史的意味や価値がこの上なく大きいため、このような努力もしてきたので、国家機関が乗り出して返還されることが当然だと思う。何よりもこのような大切な遺物が永久に日本に埋もれたり、他の外国へ出ることがないようにしなければならない」と強調した。
返還手続きや方式については、現在まで確実に方針が決まっているものはない。国宝である半跏思惟像や百済金銅大香炉に匹敵する価値を持つという評価が出ているだけに、今後、返還交渉を行う場合、作品評価額についてさまざまな国際競売資料などを検討し、所蔵者側と「適正価格」を探すのがカギとなるのではないかとペ館長は指摘した。彼は特に、仏像が出土された後、日本に渡った来歴を念頭に置かなければならないと指摘した。
今回日本で公開された百済金銅観音像は、窺岩里で他の金銅観音像と一緒に出土され、日本の憲兵隊が保管していたが競売で日本人に売られ、その後収集家の市田次郎氏に渡り、解放以後、日本に搬出された。ペ館長は「解放後にこの地に残って扶余博物館に入った他の金銅観音菩薩立像と一緒に最初は後代の世に出たが、縁が分かれて離別しなければならなかった」とし、「このような悲しい歴史を所蔵者と一緒に分かち合って議論するなら、大乗的レベルで相互にウィンウィンの結果を産むことができるだろう」と期待した。彼は「苦心の末に名品を公開した所蔵家の真摯さと名誉を最大限尊重し、博物館が中心となって国内への返還を推進する名分と条件をつくることが重要だ」と付け加えた。
キム・ジョンジン文化財庁長もこの日、ハンギョレとの電話インタビューで「所蔵者や作品の近況については以前からさまざまな情報を把握してきた」とし、「予算の問題もあり、国立博物館とともに所蔵者側の合意を引き出せる環境を造成することにまず努力したい」と述べた。