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解放政局で民族の将来を苦悩した雑誌『人民科学』

登録:2018-11-12 23:24 修正:2018-11-13 11:52
進歩的民主主義を標ぼうした雑誌 
「科学は形而下学全般を意味」 
呂運亨など「建準」グループが主軸
『人民科学』創刊号(1946)。科学雑誌ではなく時事総合誌だ=ソウルSFアーカイブ提供//ハンギョレ新聞社

 解放後、朝鮮ではその間抑圧されてきた民族文化的欲求が各界各層から噴出した。大衆科学分野も例外ではなく、1946年の一年間だけでも『現代科学』、『大衆科学』、『人民科学』、『科学戦線」など多くの雑誌が創刊された。しかし、これらの中には表題だけ見て科学雑誌という枠内に入れるには困難なものもある。代表的なものが『人民科学』だ。

 『人民科学』は、その間主に科学史学界で言及されたり引用された。「ソ連科学アカデミーの構成」という翻訳文もあり、「科学技術の進路」とか「農業の機械化」という寄稿文もある。しかし、全般的な内容は政治ジャーナリズムを標ぼうする時事総合誌や社会科学雑誌と見るべきものだった。何よりも、創刊の辞は下記のように明らかにしている。

 「…本誌は、進歩的民主主義を目標とする国家建設を指向して、政治経済文化自然科学など国家の構成に必要な一切の学問の指導的理論を展開することによりその使命をつくそうとする意図の下に誕生した。…“人民科学”の“科学”とは、自然科学だけを指し示すものではなく、形而下学全般を意味するものであり、人民のための学術、すなわち朝鮮全人民のための建国に必要な各部門の科学的理論であることを付言しておく」

 『人民科学』創刊号に文を書いた人々は、呂運亨(ヨ・ウニョン)を中心に李康国(イ・ガングク)、李萬珪(イ・マンギュ)、金午星(キム・オソン)などが布陣されたいわゆる「建準(建国準備委員会)」、または「建国同盟」グループが主軸だった。解放前後の社会史についてある程度関心のある人々には聞き慣れた名前だ。特に呂運亨は、解放直後に実施された中立的アンケート調査で李承晩(イ・スンマン)と金九(キム・グ)を抜いて、民族の指導者1順位に選ばれもした人物だった。仮に彼が1947年にテロで亡くならなかったとすれば、韓国の現代史はかなり異なるものになっていただろうという意見も少なくない。

 『人民科学』創刊号の最初に載せられた文は、金午星の「指導者論」だ。「指導者は世界史的個人だ」という話を反復し強調するこの文は「世界史的個人」というヘーゲルの概念を引用し、混乱の転換期に人民大衆は正しい指導者を持ってこそ幸せになれると主張する。哲学を専攻した日本留学生出身の金午星は、文学評論家として注目に価する著述を残し、南朝鮮労働党に身を置いて1947年に北に渡った。朝鮮戦争直後に粛清されたという。

 「建国教育に関して」を書いた李萬珪は、教育者であり国語学者として日帝強制占領期間に松島中学校と培花女子中学校などで反日思想を鼓吹し、獄苦を体験した。力作の『朝鮮教育史』(1947)は、この分野で韓国初の著作であり、21世紀に入っても依然として再版されている古典だ。1948年に南北交渉のため北に行きそのまま残留し、その後永らく北朝鮮教育界で活動した。北朝鮮の『高麗史』と『李朝実録』翻訳事業を率いた人だ。呂運亨とは非常に深い友情で結ばれた友人だった。

 ファシズムと信託統治に関する文を書いた李康国は、いわゆる「女スパイ金寿任(キム・スイム)」事件でも著名なエリート知識人だった。宝城(ポソン)高小を首席で卒業した後、京城帝国大学法文学部を経て、ドイツのベルリン大学に留学した。独立運動をして投獄もされ、解放後には呂運亨の建準に参加した。米軍政反対活動をして逮捕令が下るとすぐに北朝鮮に脱出したが、その過程で恋人の金寿任の助けを受けた。金寿任と親しい仲だった米軍のベアード大佐の車に隠れて乗り38度線を越えたということだ。北朝鮮では、50年代中盤に米国のスパイという疑いを買い粛清された。後に李康国が実際に米軍と連係があったという証拠が米国で発見されたともいい、金寿任は無念にもスパイにでっち上げられたという疑惑も提起されたが、まだ明らかになってはいない。

 「科学技術の進路」を書いた呂ドング(ヨ・ドング)は、呂運亨の甥と推定されるが、詳しい履歴は分からない。科学社会学エッセイに該当する内容であり「科学者はいかなる権力の抑圧からも解放され、研究の自由と発表の自由を確保してこそ科学は偉大な飛躍を遂行するだろう」という結論で終える。

 呂運亨をはじめとする『人民科学』創刊号の執筆陣は、社会主義系列に分類されるが、盲目的に理念を追求するというよりは進歩的な視角で民族の将来を設計しようとした試みに近く見える。しかし、1946年春『人民科学』創刊号が出た後、わずか1年にもならずに彼らの運命は散り散りになってしまった。この雑誌を通じて明らかにした「国家建設に必要な設計図の任務」を継続できていたならば、そして当時の自然科学および応用科学系の人物とも有機的に結ばれていたならば、この国はどのような姿を描くことができただろうか。

パク・サンジュン(ソウルSFアーカイブ代表)(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/science/future/869824.html韓国語原文入力:2018-11-12 13:32
訳J.S