忠清北道(チュンチョンプクド)忠州市(チュンジュシ)にある高麗時代の墓から、獅子など動物像のつまみが付いた同時代の印章や精巧な細工が施された青銅鏡などが出土した。これらと共に墓の周辺からは7万5千年前の中期旧石器遺跡と新羅、高麗、朝鮮時代の墓約1350基、高麗土城、朝鮮時代の窯跡など、多様な時代に造成された複合遺跡が実体を現わした。
発掘機関である東亜細亜文化財研究院は、2012年から忠州市虎岩洞(ホアムドン)、芝峴洞(チヒョンドン)一帯の宅地開発事業区域を調査した結果、この地域で旧石器時代から朝鮮時代までに造成された大規模複合遺跡と大量の出土品を確認したと28日発表した。
まず注目される遺跡は、高麗から朝鮮時代の墳墓群だ。合計1300基ほどに及び、高麗時代の印章や青銅鏡をはじめ、匙、箸、陶磁器などが大量に見つかった。特に印章3点のつまみについた飾りの獅子などの動物文様はユーモラスな姿が目を引く。裏面に刻まれた文字の一字は鳳凰を意味する鳳であると解釈されたが、残りの文字はさらに精密な判読が必要だと調査団は説明した。合計28点が出土した鏡の場合、双頭の龍と雲紋が刻まれた「雙龍雲文大鏡」と八頭の獅子が刻まれた「八獅子文鏡」など、精巧で美しい文様が刻まれた秀作が多く、高麗時代のすぐれた工芸技術を見せているという評価だ。
もう一つ注目される点は、朝鮮前期に作られた瓦窯6基だ。これらのうち一基からは、牡瓦(丸瓦)、牝瓦(平瓦)、煉瓦など551点が整然と積まれた状態で発見された。瓦を焼いている途中で天井がなんらかの理由で崩れ廃棄された跡で、朝鮮初期に職人が焼く瓦を窯の中に積む仕組みを把握できる異色な史料と評価される。
また、50基ほど見つかった三国時代の新羅古墳は、6世紀中葉から7世紀中葉に掘られた横口式石室墓で、既存の墓に繰り返し遺体を納めた追加葬が確認できる。真興王(在位540~576年)以後、新羅が北方へ進出し忠州地域が従属される過程を示す遺跡と見ている。最も早い中期旧石器遺跡からは、礫器(チョッパー)、石核、剥片などの石器が出土した。そのほか13世紀に築かれたと推定される高麗時代の土城城壁からは「龍山寺」と「官」の様な字が刻まれた瓦片が出土し、当時周辺に龍山寺という寺があったと思われる。
研究院側は国立中原文化財研究所と共に発掘遺物を特別展示し、学術シンポジウムなども開く予定だ。同時に土地住宅公社は忠州虎岩洞遺跡の重要区画を整備した後、遺跡公園として造成する計画だ。