原文入力:2010-07-06午後01:43:15(1432字)
牛眠洞 開発地で 2ヶ所 発掘
住居址・遺物も大量に出土
ノ・ヒョンソク記者
←ソウル、牛眠山麓で最近発掘された5世紀ごろの初期百済時代の大型屈式石房墓(横穴式石室墳・左)と近隣の百済住居址から出た石臼とノズル形の異形土器。ハンオル文化遺産研究院提供
ソウル、瑞草区,芸術の殿堂後方の牛眠山麓で初期百済時代(紀元前後~475)中央王族、貴族らが埋められたと推定される5世紀頃の大型屈式石房(横穴式石室)墓と当時の百済人らの村家址などが大量に発見された。これらの墓は初期百済時代の石室古墳の中で最も大きな規模であることに加え、百済王城の場所として有力な風納土城、夢村土城と最も近いところに位置しており、学界の関心が集まっている。
発掘調査機関のハンオル文化遺産研究院は昨年5月からソウル、牛眠洞451番地国民賃貸住宅予定地一帯を調査した結果、最近 墓棺の大きさが最大5mに達する5世紀中後半頃の百済大型石房墓2ヶ所とかまどなどが付いた百済人らの住居址などを確認したと5日明らかにした。
発掘された大型石房墓は土地を耕し割った石を新たに積み、墓室空間を用意する仕組みだ。大きい墓(2号墳)の場合、墓席の幅が4m45㎝、小さい墓(7号墳)も幅が4mに達する。 楽浪・高句麗石室墓などの影響を受けたと見られる初期百済石室墓は京畿道と忠清道一帯で2000年代以降たびたび発見されているが、今回確認された牛眠洞古墳は最も規模が大きい側に属する。特に2号墳からは古代最高有力者らの典型的副葬品である散布(小型スキ形農具)が出土し、墓の主人は王族または最高位級貴族であるものと推定されている。
これとともに丘の上側の5世紀初百済住居址からはガスレンジのノズルのような特異な形の異形土器が初めて出土し注目を集めた。この土器の使い途について学界では保温容器あるいは竈王神などの民俗信仰物ではないかという分析が交錯している。また、夢村土城から出たのとほとんど同じチャングン型土器(醤等を入れる横腹が膨らんだ土器)と石臼、鉄矢尻、斧・クワなどめったに見られない百済武器類なども多数出土し、墓の主人の権勢を推察させる。この他に遺跡一帯では旧石器時代の石器類と新石器時代に火をたいた石かまどの場所(家石炉)。7~8世紀の統一新羅時代の畑、朝鮮時代の民墓、近代期の道路遺構などほとんど全時代にわたる遺跡が出土し‘歴史遺跡の総合百貨店のようだ’という評価も出てきた。
考古学者のチェ・ビョンヒョン崇実大教授は「2000年代初めまで、初期百済には発達した石室墓がないという見解が一般的だったが、今回の発掘で初期王城付近でも石室墓を使ったことという見解が力付けられることになった」として「忠南公州に遷都する前の4~5世紀に、すでに百済人たちが発達した石室墓文化を広く受け入れていたという事実が明らかになった」と評価した。
一方、学界では石室墓など一部重要遺跡の場合、全面保存が必要だという意見を出しており、今後当局と再開発保存の有無を巡り論議が予想される。
文ノ・ヒョンソク記者 nuge@hani.co.kr,写真 ハンオル文化遺産研究院 提供
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/429032.html 訳J.S