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【週を開く考え】韓国労働運動史の“ミッシング・リンク”を探す

登録:2014-01-19 10:17 修正:2014-01-20 08:14
『船造り、国造り』ナム・ファスク著
ナム・グヮンスク、ナム・ファスク共訳
フマニタス出版

「この本は、朴正熙時代(1961~79年)に、大韓造船公社で戦闘的な労組が生まれ、そして衰亡して行く話を扱っている。…その闘争性の歴史的かつ社会・政治的な源泉を分析…労働政治を下から再解釈することにより、韓国社会で労働者たちが遂行していた役割と彼らの心性についての既存の知識に挑戦しようとする。」 米国ワシントン大学ジャクソン国際学部及び歴史学科のナム・ファスク副教授が書いた『船造り、国造り』の執筆目的だ。彼女が挑戦しようとした既存の知識とは何か?

 ナム教授は、1960年代の自主的で戦闘的な造船公社の労働運動を、韓国労働運動史の“ミッシング・リンク(失われた環)”と見ている。日本の植民地支配と解放直後の労働運動の遺産を継承し、1980年代半ば以降の爆発的な成長を準備したこの重要な環を、多くの研究者が見落とし、あるいは誤認していると、彼女は指摘する。まさにその“失われた環の部分”を探し出し、あるべき位置にはめ込むこと、そうして、韓国労働運動史を書き直すこと、それがナム教授の言う挑戦だ。

 ナム教授の挑戦を触発したのは、造船公社労組の1960~80年代の文書だ。労組活動記録と業務日誌、会議録、ビラ、政府機関や上級労組と交わした文書綴りなど1万ページ近いその文書には、1960年代に自主的で戦闘的な民主労組が猛烈に活動していた事実が詳しく書かれている。

 これは、1970年代半ばまでの労働運動が「全般的に温順で未組織の状態にあり、政治的に静か」(ク・ヘグン)だったと見る研究者たちの一般的見解と相反するものだった。本書はその失われた繋ぎ部分の検討を通して、敗北の憂鬱ではなく、肯定的遺産と未来に対する楽観的展望を見出そうとしている。

ハン・スンドン記者 sdhan@hani.co.kr

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1969年の造船公社のスト現場。造船公社の労組員が労組幹部らの演説を聞いている。このストを崩壊させた朴正熙軍事政権は、1970年代、労働政策を維新弾圧体制に完全に転換する。フマニタス提供

韓国の進歩的民主労組 1960年代に存在していた

 韓国労働運動史の“失われた環”を見いだしたのか? 自主的かつ進歩的な労働運動は、朝鮮戦争以後1980年代半ばまで事実上存在しなかったという見解がこれまで主流だった。1960年代の造船公社労組文書はこれを修正しなければならないと語る。

 1990年代に米国の韓国学研究者ジェームズ・パレ(2006年死亡)ワシントン大学教授の下で韓国労働運動史に関する博士論文を書いていたナム・ファスク教授。初めに立てた主題は韓国労働運動のジェンダー問題だった。彼女は特に、1987年の労働者大闘争の時期を起点に民主労働運動の主導権が女性労働者から重工業の男性労働者に移り、女性主導の労働運動の位相と役割が急速に衰退して行った動向に注目した。

ところが、論文作業中に入手したある文書が彼女の考えを変えた。大韓造船公社労組の1960~80年代の文書だった。それを読んでいった彼女は大きな混乱に陥った。文書の内容が事実ならば、それはその時まで自分が勉強してきた韓国労働運動史の大部分を廃棄しなければならないことを意味していた。彼女は論文のテーマを変えた。『船造り、国造り』はそのようにして2003年に完成した論文に基いて2009年に出版した英語版単行本だが、今回、妹のナム・グヮンスク氏と共訳で韓国語に翻訳出版したものである。

 ナム教授がこの本で挑戦状を投げた“既存知識”とは、まず、1950年の朝鮮戦争を境に明白になった左派の歴史的敗北と反共政権確立以後、韓国の労働運動は崩壊あるいはバラバラになり事実上の空白期に入ったという多数の研究者の一般的見解だ。 彼らは韓国労働運動史において、1980年代半ばの労働者大闘争以前の1950~70年代を飛ばしてしまう。

 もう一つは、韓国の経済発展が“弱い労働”と“強い国家”のおかげだという主張だ。韓国経済と労働政治研究者たちは一様に、権威主義的植民地権力が抑圧的統制を通して固定化させた “弱い労働”が発展国家 韓国の驚くべき成功の土台になったという考えを持っている。 米プリンストン大学政治学科のアトゥル・コーリ教授が代表的だが、解放後の労働運動弾圧が日本の植民地時代にその起源を置いており、韓国経済の奇跡は、深く掘られたそのわだちに朴正熙が再び権威主義的な“強い国家”を走らせたおかげだと彼は言う。このような論理は韓国の経済成長が日本の植民地支配のお蔭を被っているという植民地近代化論にも繋がる。

このような考え方は結果的に韓国の労働者たちの自主性・主体性を抹殺し、さらには韓国の経済成長において労働闘争が作り出した躍動性と独自性をも否定してしまう。造船公社労組の文書は、これらの主張が明らかに虚構であることを示しているとナム教授は語る。

1960年代 造船公社の労組員たちは
親企業的な指導部を
代議員大会不信任で交替させ
臨時職も労組員として包容した

1980年代半ば
造船分野の労働運動の復活は
大型造船会社に散らばっていった
造船公社の熟練工がいてこそ可能だった

 日帝の大陸侵略が本格化した1937年日本の資本で設立された造船公社は、1950年1月、大韓造船公社に再組織されたが、1960年頃にはほとんど破産状態に陥った。造船公社にまともな労組が登場したのは、1958年の7ヶ月間の未払い賃金の支払いを要求した最初のストライキでの勝利後だ。ナム教授は、それまで戦争と“アカ粛清”を経る中でほとんど無労組状態に置かれていたけれども、団結権・団体交渉権・団体行動権などを保障した1953年の労働法とチョン・ジンハンなど情熱的な労働運動家たちの活動などを見れば、李承晩時代にも進歩的・革新的労働運動の遺産は生きていたと見る。 曺奉岩(チョ・ボンアム)が最初の農林部長官になり、1956年の大統領選挙で彼が収めた驚くべき成果、そして彼を処刑に追いやった状況は、左翼粛清と戦争の打撃の中でもその遺産と伝統が強力な訴求力を発揮していたことを反証するということだ。

 4・19革命後、盛んに花開いた労働運動は、しかし5・16軍事クーデターで再び打撃を被る。

最近の専門家たちの研究は、受動的で政府の政策に順応的だった韓国の労働運動は1980年代半ばまで事実上、不在状態だったという考えをますます強めている。

 しかしナム教授は、それは事実ではないと言う。1960年代造船公社の労組員たちの行動や要求は、決して受動的でも順応的でもなかったということだ。親企業的で高圧的だった指導部を代議員大会での不信任反乱を通じて交代させて登場したホ・ジェオプ支部長時代(1964年4月~1969年10月)には、臨時職(非正規職)まで組合員に包容するほど極めて進歩的であり戦闘的であった。

 当時、造船公社の労組員たちは大部分が30~40代の男性労働者で、比較的教育水準の高かった彼らの中には、植民地時代や解放後、国の内外で製造業部門の様々な仕事場を経た熟練工が多かった。 彼らは解放直後の戦闘的かつ急進的な労働運動を目撃した世代でもあった。

 政府の労働政策も1970年代に比べ1960年代は、1950年代とはるかに強い連続性を帯びていた。朴正熙政権の労働政策も、1968年までは相対的に労働運動に寛容的で統制もやや緩いものだった。

 しかし、1960年代末、輸出主導の高成長発展国家政策に転換すると共に、朴正熙政権は態度を変えて労働者を民族国家建設の同伴者ではなく、受動的投入要素、強制動員の対象に過ぎない存在と認識した。代わりに、ちょうど登場し始めた中産層が主役の経済成長中心の民族主義談論を受容した。

 1968年11月に造船公社民営化で新しい主人となったのは、李承晩と密着し、造船公社理事でもあったナム・グンニョン極東海運社長だった。彼は臨時職を解雇し職場閉鎖まで敢行して、中央情報部と警察、マスコミを動員し、労組を経済発展の妨害者に追い込んだ。1968年3月から1969年10月までの造船公社労組の長期闘争は結局敗北した。労使関係のパターンは根本的に変わった。すなわち維新へ向かう道だった。

 造船分野の労働運動は現代(ヒョンデ)・大宇(テウ)・三星(サムスン)などの財閥が巨大造船会社を運営しながら、無労組環境で世界の造船業界を制覇した1980年代半ばになって復活する。その時、造船公社の労組は再びその先鋒に立つことになる。財閥造船会社の成功には造船公社の熟練労働者が絶対的な貢献をした。1980年代半ばの造船分野労働運動の復活は、大型造船会社に散って行った造船公社の熟練工たちの存在を除いて語ることはできない。植民地時代から受け継がれてきた自主的・進歩的労働運動の遺産はここでもう一度開花した。

 造船公社の後身である韓進重工業の女性溶接工キム・ジンスクが、1980年代半ばに労働英雄として登場したのも、そして希望のバスも、それを象徴する。公平な分配、人権、公平な評価・昇進制度、労使の同等な地位、生産職労働者の差別撤廃、民主主義など、1960年代造船公社の労働運動と1980年代の労働者の要求が異なるものでないことも、それを裏づけている。新自由主義的資本主義体制下において、遺産はまた新たに発現されるのではないか。

ハン・スンドン記者 sdhan@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/619433.html 韓国語原文入力:2014/01/13 11:22
訳A.K(4130字)

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