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韓国戦争時に流出した最初の紙幣印刷原版 取り戻す

登録:2013-08-28 00:45 修正:2013-08-28 06:47
1892年大韓帝国が製作
6・25参戦米軍が不法に持ち出し
競売で売ろうとして存在明らかに
韓・米 捜査共助で初の還収
米国から還収される戸曹兌換券印刷原版. ニューシス

1951年、韓国戦争中に米国に流出した我が国最初の近代紙幣である‘戸曹兌換券’の印刷原版1点が還収される。

 文化財庁と最高検察庁は27日 「米国国土安保捜査局との捜査共助を通じて10両券‘戸曹兌換券’の印刷原版1ヶを還収して、9月3日ソン・キム駐韓米国大使を通じて伝達されることになった」と明らかにした。 韓-米捜査共助を通じて米国内にあった韓国文化財が返還されるのは今回が初めてだ。

 戸曹兌換券は大韓帝国が貨幣制度の整備を試みる過程で作った旧-新貨幣交換券を言い、原版はこれを印刷するために作られた青銅版だ。

 大韓帝国政府は1892年(高宗(コジョン)29年)貨幣制度整備のために新式貨幣条例を公布し、仁川(インチョン)典園局を設置すると同時に新貨幣と旧貨幣の交換業務を担当する兌換署を新設した。 兌換署は旧貨幣の流通を停止させ、発行した戸曹兌換券に変えた後、この戸曹兌換券を新貨幣と交換し回収する計画を立てた。 当時50両券、20両券、10両券、5両券など計4種の戸曹兌換券が作られた。

 しかし、戸曹兌換券は流通できずに結局廃棄される。 翌年、典園局運営に従事した日本人の間に内紛が起きるや政府が仁川典園局の運営権を取り戻した後、典園局で作った戸曹兌換券を焼却してしまった。

 今回還収した10両券の戸曹兌換券印刷原版は、4種の青銅原版中の一つで横15.875㎝、縦9.525㎝、重さ0.56㎏だ。 上段と下段には横に‘戸曹兌換券’、‘大朝鮮国政府典園局製造’,左右には縦に‘戸曹’および‘兌換署’,中央には‘拾両’(十両)とその下に‘此券以通用正貨交換也’および‘この換票は通用する金に交換するものとする’という字句をそれぞれ刷り込んだ。

 現在、原版は故宮博物館が3種11個、貨幣博物館が1種1個を所蔵しているが、10両券はなかったため、今回の還収の意味はより一層格別だ。 原版は多いものでは1種当り8個あったものと推定される。 印刷された戸曹兌換券は当時焼却されて現存しないが、3~4回カラー両面印刷だったと推定される。

 還収された戸曹兌換券原版は、1951年韓国戦争当時に徳寿宮(トクスグン)に所蔵されていたものを米海兵であるライオネル ヘイス(死亡)が不法に流出させ米国に持ちだした。 原版の存在はヘイスの娘が2010年米国ミシガン州オックスフォードにあるミッドウェスト オークション ギャラリーに競売を依頼したことにより判明した。

 この情報を入手した駐米韓国大使館法務協力官は競売の中止を要請し、競売後には落札者である在米同胞古美術収集家ユン・ウォンヨン(54)氏に代金入金および引き取り延期を要請したが全て拒絶された。 大使館側はこの事実を法務部と最高検察庁に報告し、米国国土安保部および法務部に刑事手続きの進行を要請した。 以後、韓-米捜査共助を通じて所有権が韓国政府にあり、不法に流出したことが確認されたため、米国土安保捜査局は落札者ユン氏と競売会社代表を逮捕し去る7月に没収手続きを完了した。

 最高検察庁と米国移民関税執行庁は、この事件を契機に相互協力に関する了解覚書を締結した。 最高検察庁と文化財庁は今回構築した協力体系を活用して米国に搬出された文化財の所在が明らかになる都度、積極的還収に乗り出す方針だ。 現在米国博物館にある‘文定王后 御宝’も返してもらうために米国に捜査を要請した状態だ。

イム・ジョンオブ、キム・ウォンチョル記者 blitz@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/601131.html 韓国語原文入力:2013/08/27 21:58
訳J.S(1665字)

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