仮に、あなたが氷点下40度の風が吹き荒れる氷の上に裸足で立っていると想像してみよう。おそらく5分も耐えられないだろう。ところがホッキョクグマは、寒さなど意に介さず、まるで散歩でもするかのように、海氷の上をゆうゆうと歩く。しかも、年間を通して極地を離れないため、ホッキョクグマの生息地の範囲が北極圏(Arctic Circle)を定義する基準にもなっている。
ならば、ホッキョクグマは、北極の寒さにどのようにして耐えているのか。生態学的な観点からは、この質問はあまり洗練されていないように思われる。海洋生物学者のシルビア・アール(Sylvia Earle)は、ホッキョクグマについて次のように述べた。「人間にとって北極は極度に不毛な地だが、その環境は、ホッキョクグマが生存して繁栄するためには必須な条件だ。われわれにとって『苛酷な』環境は、彼らにとっては『家』のようなものだ」
ホッキョクグマは約40万年前にヒグマから分岐し、独自の種として定着した。この時期は過去50万年間で最も長かった間氷期で、なんと5万年にわたって温暖な気候が続き、グリーンランドの氷床は大幅に減り、グリーンランドの南部地域は、現在では想像しがたい針葉樹の森で覆われていた。その合間を利用してホッキョクグマの先祖は、それまでは生存できなかった高緯度地域まで進出し、その後、時間が経過して気候が寒冷化していくなかで北極に残り、唯一の氷の環境に適応した巨大な陸上哺乳類になった。
高緯度の北極の極限環境で生存するためには、高エネルギーが求められ、脂肪が豊富な餌を維持しなければならない。したがって、ホッキョクグマの子どもは27%の脂肪を含む母乳を飲んで育ち、成体は優れた嗅覚を利用して氷穴でアザラシを狩猟し、脂肪分(blubber)を摂取する。
栄養状態によって差はあるが、体重の約50%を脂肪が占めており、エネルギー保存と保温に有利だ。人間であれば致命的になるほどの高コレステロール値を生涯維持するが、心血管系の構造と機能がこれを処理できる遺伝的変異が蓄積されている。そのおかげで、血管疾患の心配なしに生涯にわたり脂肪が豊富なアザラシを食べる捕食者としての地位を確立できた。
ホッキョクグマの白色の毛は、獲物から身を隠すために望ましいだけでなく、長くて優れた断熱効果を備えており、寒さに耐えるのに適している。もちろん、低温が続く場合は、体を丸めて一時的に体表面積を減らしたり、雪の中に穴を掘って入ったりして、体温を維持する。特に子どもは600~800グラムというきわめて軽い体重で生まれ、体脂肪が少なく断熱面で弱いため、出産後3カ月間ほどは母親が一緒に過ごし、穴の中で保護する。
ホッキョクグマは極限の北極の気候と環境に最適化した捕食者だ。海氷で容易に入手できる餌であるアザラシの狩猟に特化し、高脂肪の代謝に耐えられるよう適応してきた。しかし最近、彼らが生きてきた舞台が急速に変わりつつある。気候変動によって海氷は徐々に減っており、これによって氷の穴を探して狩猟することが困難になった。そのため、餌を探して長距離を泳ぎ、エネルギーを消耗する。
乾燥した条件下では断熱効果が高い長い毛は、水にぬれると通気層が形成されなくなり、体温が急激に低下する。特に、母親の背中に乗って泳ぐ子どもは、低体温の危険にさらされやすい。しかも、狩猟が困難な夏は最長で6カ月間ほども断食に追い込まれ、生存を脅かされている。飢えに苦しんだ末に、陸地で鳥の卵をあさったり、トナカイを捕食したりする光景もたびたび目撃されているが、高脂肪の食事に慣れたホッキョクグマにとっては到底足りない。ホッキョクグマに近いヒグマは雑食性であるため、果実や昆虫を食べてエネルギーを得られるが、ホッキョクグマは極地のアザラシ狩りに完全に特化した狩人だ。上記で紹介したとおり、海氷は単なる環境ではなく、彼らにとっては「家」のようなところだ。そのため、氷が消えれば、餌をとって子どもを育てるという基本的な生存と繁殖が困難になる。すなわち、完璧にみえたホッキョクグマの極地適応は、いまや生存の障害になっている。
米国国立氷雪資料センターの発表によると、2025年冬の海氷の面積は1433万平方キロメートルで、47年間にわたり衛星で観測して以来、過去最低を記録した。ホッキョクグマの危機は今後さらに加速するというのが、専門家の共通した見解だ。ホッキョクグマの事例は、極限の環境に特化した適応が気候変動によって脅威として迫る進化のパラドックスを示している。完璧な適応は完璧な弱点になりうる。この質問は、われわれにも跳ね返ってくる。人間の生存環境は、環境変化にどれほど柔軟なのか。われわれが完全に適応してしまった現代文明体制のもとで、迫りくる気候危機に耐え抜くことはできるのか。