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■潜伏と再活性化
問題は、右派ポピュリズムは「政権獲得戦略」としては効果的だったが、「統治」では大きな力を発揮することが難しかったということにあった。既存の秩序を批判して対抗勢力を結集させることと、国家共同体を運営することは、まったく異なる領域に属するからだ。したがって与党「国民の力」の極右化は、政権1年目ははっきりとは可視化しなかった。さらには、この時期、国民の力はチョン・グァンフン勢力を警戒し、彼らと党内部の癒着の動きを果敢に遮断する姿勢すら示していた。2023年3月のチョン・グァンフン牧師の集会に参加したキム・ジェウォン最高委員が「5・18(光州民主化運動)精神の憲法前文への収録に反対する」と発言し、党の倫理委員会から懲戒されたのが代表的な例だ。同時期、ファン・ギョアン元代表は、チョン・グァンフン牧師が候補公認を依頼していたことを暴露しつつ、「(チョン・グァンフン勢力を)党から放逐しなければならない」とまで述べている。
だが、キム・ジェウォン前議員は国民の力の第1~3期の指導部選挙で相次いで最高委員に選ばれ、党の懲戒を無意味なものにした。ここには2017年の朴槿恵弾劾反対集会、2019年の極右と自由韓国党との密着、2022年の大統領選挙を経て国民の力に大挙して入党した極右プロテスタントと太極旗勢力の組織化された動きが作用した、というのが定説だ。
それだけに、潜伏期間は1年を越せなかった。2023年の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の8・15(光復節)の祝辞は、「戦争の言語」で満たされていた。野党、市民社会団体、労働界を「共産全体主義に盲従し、社会をかく乱する反国家勢力」と規定した。その年の祝辞で用いられた言葉は「一挙に清算」、「処断する」などの、1年3カ月後の非常戒厳談話と布告文に登場する「絶滅の言語」の予告編だった。慶熙大学フマニタスカレッジのキム・ユンチョル教授は、「政権初期には公正を強調しつつ、民生に気を配ると言っていたかと思えば、統治が思うようにいかないことを野党のせいにして、イデオロギー的内戦を宣布したもの」だと述べた。支持率の下落と巨大野党との対立、それによる国政のこう着が長期化したことで、潜伏していた極右ウイルスが再び活性化したのだ。
■惨敗と混とん
極右化は尹錫悦大統領だけのせいではなかった。極端に走る大統領の考えと行動を政権与党が制御できなかったのが痛かった。国民の力はむしろ極右化に積極的に歩調を合わせることを選んだ。「自由大韓民国を脅かすすべての勢力を断固として排撃することこそ、私たちの義務」だと述べた2023年の8・15祝辞に対する国民の力の論評は、それを示している。
このような雰囲気が作られたのには、大統領選挙と党執行部選挙を経て、党全体が親尹錫悦系一色に塗りかえられたことも影響している。尹大統領と対立していたイ・ジュンソク代表が2022年7月に党代表の座から追われた。2023年3月の党大会では、支持率で1位を走っていたナ・ギョンウォン議員が、大統領室と親尹系の圧力の中で党の主導権争いから強制的に排除された。このような異常な「政府与党一体」システムの下、党のすべての意思決定は尹錫悦と大統領夫人キム・ゴンヒの「夫婦の意志」に左右された。
結果は総選挙での再度の惨敗だった。昨年の4・10総選挙で国民の力は108議席を得るにとどまった。内訳は釜山(プサン)・蔚山(ウルサン)・慶尚南道が34議席、大邱(テグ)・慶尚北道が25議席で、嶺南(ヨンナム=慶尚道)地域の選挙区から選出された議員が党全体の議席の54.6%を占めた。朝鮮大学政治外交学科のチ・ビョングン教授は「国会入りした議員が嶺南圏に偏ったことは、政治的に深刻な結果を生んだ」と語る。国民の平均的な要求ではなく慶尚道地域の強硬支持層の声が過剰に代表されることで、党の極右化を制御する力そのものが失われてしまったというのだ。
■内乱と暴走
国民の力の極右化は、日本の政治思想家、丸山真男(1914~1996)の分析した「戦前日本の統治メカニズム」と類似する。ここで権力は、「天皇」という絶対的権威を中心として同心円を描いて分け与えられている。このシステムの特徴は、権力を分け与えられて行使する諸主体が、権力行使の正当性を「自身の内部」に持っているのではなく、「中心(天皇)との距離(近接性)」に依存しているというところにあった。
国民の力も、各主体の行使する権力の大きさは、中心(尹錫悦夫妻)との近接度に比例していた。問題は、このシステムにおいては中心が消えたり弱まったりした場合、各段階の権力が、中心に追従してきた下部からの圧力になす術なく振り回されるというところにある。12・3内乱後の国民の力がそうだ。「尹錫悦なき親尹系」は、消え去った権威と権力を内部から新たに作りあげて埋めていくのではなく、暴民化した尹錫悦追従勢力に便乗して崩壊の危機にある統治レジームを守っていこうとした。その結果は「極右の主流化」だった。
一連の過程は、12・3内乱以降の政局の展開状況を見ればはっきりする。中央大学のシン・ジヌク教授は、12・3内乱事態の展開を5つの局面にまとめている。第一の局面は、12月3日の政権勢力による親衛クーデターの試みと国会・市民の防衛行動が繰り広げられた時期。第二の局面は、戒厳解除後、民主主義の回復についての最大の合意が一時的に形成された時期。第三の局面は、国会による弾劾で制度的権力資源を失った尹錫悦が戒厳の正当性を強弁して支持層を結集するとともに、憲法機関への攻撃を扇動する段階。第四の局面は、極右の大規模な結集と裁判所での暴動などの極右テロが本格化する時期。第五の局面は、国民の力が極右勢力の暴力扇動に同調することでファシズム傾向を強める段階だ。
■破局か再生か
12・3内乱は、韓国の民主主義が強固でないだけでなく、民主主義と多元主義を圧殺しようとする集団が韓国社会にかなりの規模で存在するということをあらわにした。何よりも、極右社会勢力と保守政治勢力の同盟が深刻な段階にまで至っているということに誰もが衝撃を抱いたが、逆説的にそれは韓国の保守政党の構造的、理念的なぜい弱性を立証する事例でもあった。
問題は、今のように保守政治勢力と極右社会勢力の同盟が維持され、政権獲得にまで至った場合、韓国社会はかつて経験したことのない「大破局」に直面することになるということだ。それを防ぐ道は、保守政治勢力を極右社会集団から隔離すること、国民の力の「保守政党化」だ。この目標を国民の力の意志のみで達成するのは無謀だ。政党の体質の革新は内部の自助努力、ライバル政治勢力から受ける衝撃、社会の執ような圧力が合わさった時に成し遂げられることを、世界の政党史は示しているからだ。