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[寄稿]韓国社会における「ファンダムの権力化」の陰

登録:2024-03-23 00:09 修正:2024-03-23 11:56
熱愛を認めたaespaのカリナに抗議する電光掲示板。「ファンからの愛が足りないのか。なぜファンに対する裏切りを選んだのか。自ら謝ってほしい。でなければアルバム販売量が減り、コンサートの空席を見ることになるだろう」とある=オンラインコミュニティーより//ハンギョレ新聞社

 人気ガールズグループ「aespa」のメンバーのカリナが恋愛中であることが報じられ、ファンは激しく反発した。最初はありふれた芸能人のゴシップのようにみえたが、所属事務所の前でトラックデモが起き、ついにはカリナ本人が自筆の謝罪文まで公開したことで、単なるハプニングとはみなせなくなった。憲法上の幸福追求権や普遍的人権に照らしてみても、成人の私生活に対するファンのこのような攻撃や所属事務所の対応は度を越したものだ。ところで、韓国特有のアイドル産業とそのファンダムの「オタ活」文化が作り出したこの奇妙な風景は、実はかなり深刻な社会問題を含蓄している。

 「極性ファン」は、アイドル産業が存在する前には、「スター」がいる場所ならどこにでもいた。物理的暴力性からみれば、最近より昔の方が深刻に感じられる。執拗(しつよう)にストーカー行為をしたり、歌手の宿舎に忍び込んだりといったことがしばしばニュースになった。「ファンダムの極端化」と要約されるこのような行動はほぼ犯罪に準ずるものであるため、法的制裁を受けるのはもちろん、同じファンの間でも批判された。だが近ごろ起きている事態は少し異なってみえる。今はファンダムの極端化というより「ファンダムの権力化」に近い。極端化したファンダムが例外的な事件だったとすれば、権力化したファンダムは構造的な現象だ。

 ファンダムという言葉は一度も出てこないが、ファンダムの権力化のメカニズムを絶妙に説明してくれる理論がある。経済学者アルバート・ハーシュマンが50年あまり前に記した本『離脱・発言・忠誠』(Exit、Voice、and Loyalty)がそれだ。以前の学者たちは、市場における購買者の行動を主に「選好(preference)」と「離脱(exit)」の関数で説明する傾向があった。消費者は商品が気に入ったら買い、でなければ他の商品を買うか購買をあきらめる。しかしハーシュマンはそこに「抗議(Voice)」を核心となる要素として導入する。過去の経済学モデルが「寺が嫌なら僧侶は去る」という風に購買者の行動を説明したとすれば、ハーシュマンは寺が嫌になった時に「去る僧」と「残って闘う僧」が生まれる理由を分析したのだ。

 一般的に、離脱よりも抗議の方が効果的なのはどのようなケースだろうか。ハーシュマンによると、それは二つある。一つ目は少数の購買者が売上の大きな比重を占めているケース、二つ目は価格が高いケースだ。これらの場合、企業は少数の購買者から大きなプレッシャーを感じ、少数の購買者の抗議は企業の政策にかなり大きな影響力を行使する。ここで「離脱」と「抗議」という二つの選択を説明する主な要素こそ、まさに「忠誠心(loyalty)」だ。特に離脱が発生する時ほど忠誠心の価値は高くなり、抗議の効果も高まる。

 今、韓国のアイドル市場は正確にこの条件を満たしている。不特定多数の購買力、テレビなどの大衆メディアが及ぼす影響力は、過去とは比べものにならないほど縮小した一方で、ファンダムという少数-重複購買者の比重は相対的に高まっている。アイドルの所属事務所の売上において決定的な部分は、CDなどのアルバムの売上だ。CDプレーヤーを見ることさえ難しい最近のようなストリーミングの時代に、驚くべきことに彼らのアルバムは数十万から百万単位で売れる。誰が買っているのか? ファンダムだ。アルバム発売後1週間の初動販売量が運命を分けるとよく言われる。その期間にファンたちは、「自分のアイドル」を1位にするために死活をかけて「火力」を注ぎ込む。このようにファンダムの力が絶対的なものになっているため、所属事務所やアイドルは彼らの顔色をうかがわざるを得ず、ファンダムもアイドルに「私のファンタジーを壊すな」と堂々と要求する。いわば、「私たちはこれほど大きな費用をつぎ込んだのだから、あなたも相応の態度を示せ」というわけだ。カリナの自筆謝罪文などは、このような構造的圧力の産物である。

 これはアイドル市場に限られた問題ではない。政治ファンダム現象にも同様に適用できる。実際にハーシュマンは、経済だけでなく政治の領域、すなわち政党と有権者の動学の説明に力を注いだ。最近の韓国政治でも、「ショートメッセージ爆弾」をばらまく1人の熱烈な「政治高関与層」のほうが、100人の一般有権者よりはるかに強い影響を及ぼしている。関与格差による公的意思決定のこのような歪曲は、ごく少数のファンの例外的逸脱ではなく、ファンダムの権力化という構造の産物だ。しかし、情熱的な少数が情勢全体を牛耳り、ごく少数の有権者だけが意味ある発言権を持つ政治が、果たして当然のものなのだろうか。ちなみにハーシュマンの著書の副題は「企業・組織・国家における衰退への反応」だ。

//ハンギョレ新聞社

パク・クォニル|独立研究者、『韓国の能力主義』著者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1133400.html韓国語原文入力:2024-03-22 07:00
訳D.K

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