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金委員長の「同族ではない」宣言後…北朝鮮、南北交流窓口をすべて整理

登録:2024-01-15 06:08 修正:2024-01-16 09:14
今月1日0時頃、国旗掲揚式と祝砲発射、新年慶祝大公演が行われた平壌の金日成広場。北朝鮮の国旗がはためいている/朝鮮中央通信・聯合ニュース

 北朝鮮当局が「以前、北南関係の改善と平和統一のための連帯機構だった6・15南北共同宣言(2000年)実践北側委員会、祖国統一汎民族連合(汎民連)北側本部、民族和解協議会、 檀君民族統一協議会など、我々の関連団体を全て整理することにした」と、労働新聞が13日付で報道した。同紙が取り上げたこれらの団体は、1990年代以降、冷戦終結期に南北民間交流に関わってきた朝鮮労働党の「外郭機構」だ。

 労働新聞は「敬愛する金正恩(キム・ジョンウン)同志が歴史的な党中央委第8期第9回全員会議で示した対南政策転換の方針を徹底的に貫徹するための対敵部門幹部による決起大会が、12日に行われた」として、このように報じた。同紙のいう「対敵」部門とは従来の「対南」部門の新たな表現だ。

 労働新聞は「対敵部門幹部決起大会」で、「共和国の対敵闘争史を(新たに)塗り替えることに関する問題」▽「傀儡らは完全に消滅させるべき我々の主敵という確固たる観点に基づき、統一政策を新たに確立し、対南部門の闘争原則と方向を根本的に転換することに関する問題」▽「南部の全領土を平定しようとする我が軍の強力な軍事行動に歩調を合わせ、大事変への準備を予見性をもって進めていくことに関する問題」などが「強調された」と報道した。

 この「決起大会」は、金正恩朝鮮労働党総書記が年末の全員会議で、「南北関係は同族関係ではなく敵対的な二国間関係」だとし、「統一戦線部をはじめとする対南事業部分の機構を整理・改編するための対策を立てよ」と指示したことを受けた後続措置とみられる。

 汎民連北側本部は、汎民連がドイツのベルリンで結成(1990年11月20日)された直後の1991年1月25日に発足した。汎民連の海外本部は1990年12月17日、南側(韓国)本部は1995年2月25日に結成された。汎民連南側本部は1997年に韓国最高裁(大法院)で「利敵団体」とみなされた。「三者連帯統一運動」を掲げた汎民連の活動は、2000年の6・15南北首脳会談後、大きく萎縮した。汎民連は、故ムン・イクファン牧師が1989年3月に訪朝し、当時の金日成主席と2回会談した後、同年4月2日に「全国民族民主運動連合顧問ムン・イクファン」として北側の「祖国平和統一委員会委員長ホ・ダム」と合意・発表した9項目の共同声明に基づいている。

 6・15南北共同宣言実践北側委は、2000年6月の初めての南北首脳会談後に作られ、海外委員会と南側委員会を別に設けている。2000年代に入って地位が下がり活動が停滞した汎民連に取って代わり、2000年式の「三者連帯統一運動」の主導体として活動してきたが、南北当局関係の変化により浮き沈みを経た。民族和解協議会は1998年に作られ、南北社会の文化交流と対北朝鮮人道支援の交渉窓口として活動してきたが、数年前からは「解体されたのでは」とうわさされるほど活動がなかった。

 一方、北朝鮮メディアではまだ報道されていないが、中国にサーバーを置いているという北朝鮮の対南宣伝メディア「我が民族同士」、「統一のこだま」、「柳京」、「朝鮮の今日」、「麗明」などのホームページに11日からアクセスができなくなっている。対南機構の「改編・整理」作業にともなうホームページ閉鎖の可能性があるものとみられる。また、北朝鮮の対南国営放送「平壌放送」が12日午後から韓国で受信できないと、聯合ニュースが13日付で報道した。

イ・ジェフン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/1124219.html韓国語原文入力:2024-01-14 09:32
訳H.J

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