1200~1300年前、新羅の人々が願い事を込めて身につけていたという韓国最高のお守りが初公開された。今でも韓国人には魔法の呪文としておなじみの「スリスリマスリ…スリスリハマスリ」を思い出させる8~9世紀の統一新羅時代の呪文のお守りである「陀羅尼(だらに)」だ。
古代インドの文字で書かれた呪文の文句とともに、仏教の守護神である金剛力士が観音の帽子をかぶった衆生の頭を撫でて祝福する絵も描かれた、統一新羅時代の密教系統の経典のお守りである「隨求即得大自在陀羅尼」(以下、隨求陀羅尼)と、この経典を入れた金銅経箱が、国立慶州博物館に展示される。24日から館内の特別展示館で特別展「隨求陀羅尼、古い秘密のお守り」(来年1月28日まで)が開かれる。
この日公開された隨求陀羅尼は、筆写本としては現在韓国で最もはやい時期の陀羅尼のお守りで、歴史的価値が非常に高い一級遺物だ。慶州の仏国寺釈迦塔で発見され、世界最高の木版印刷物と推定されていた無垢浄光大陀羅尼経とともに、韓国で最も古い陀羅尼関連の遺物に選ばれる。1919年、国立中央博物館の前身である朝鮮総督府博物館が、当時博物館傘下の古跡調査委員会の委員だった金漢睦(キム・ハンモク、1872~1941)から購入したものを、解放後に国立博物館側が譲り受けたが、約70年ものあいだ注目を集めることなく収蔵庫に埋もれており、数年間の分析と保存処理の過程を経て、今回初めて観客の前に神秘的な姿を公開することになった。
隨求陀羅尼遺物の経緯は、2020年12月、美術史家である東国大学慶州キャンパスのハン・ジョンホ教授の追跡研究で初めて明らかになった。ハンギョレはこれに関して、当時、ハン教授が国立中央博物館の所蔵記録を調べたところ、博物館は約100年のあいだ隨求陀羅尼関連の遺物を公開せず所蔵してきた事実を確認したという内容を単独報道(2020年12月10付17面)して世に知らしめた。ハン教授はハンギョレの報道後の12月11日、韓国美術史学会と国立慶州文化財研究所が共同主催した学術大会「慶州南山の昨日と今日」で関連遺物の全貌や経緯などを明らかにした論考を発表した。
インドとチベットから来た原本を中国の高僧が翻訳し、東アジアの朝鮮半島と日本に伝えられた。中国の唐の時代の宝思惟が693年に漢訳した「仏説随求即得大自在陀羅尼神呪経」をはじめとするいくつかの漢訳本が伝わっている。
陀羅尼経は8~9世紀に新羅に伝来したと伝えられている。梵字で書かれた経典を身に着け呪文を唱えたり塔や墓に入れると、災難を退け福徳を得られると信じられており、統一新羅時代からこの地に広まり、朝鮮時代まで護身用のお守りのように使われた。「三国遺事」には、新羅の太子の寶川が蔚珍聖留窟で隨求陀羅尼経を昼夜を問わず念誦したという記録がある。慶尚南道陜川(ハプチョン)の海印寺の吉祥塔から出土した統一新羅時代の塔誌にも、隨求陀羅尼経を一緒に入れたという文面がみられ、当時、この経典が先祖の間で福を祈るお守りとして広く活用されたことがうかがえる。
特別展に展示される隨求陀羅尼は2種類ある。唱えたり書き写せば即座に願いが叶うという呪文の様々な内容が、漢字と古代サンスクリット文字でそれぞれ別に書き写されており、仏教の神が衆生を祝福する図像や蓮の花の図像を鉱物性の顔料で彩色して描いている点が目を引く。梵字本「隨求陀羅尼」は、幅31.3センチメートル、長さ44センチメートルの長方形で、中央部分に四角い余白を設け、右手に金剛杖を持った金剛力士が、冠をかぶり膝をついて座っている人の頭頂部を指でさわる姿が描かれている。冠をかぶっている人は、願い事をした官吏の姿と推定される。
図像の横の右側に発願者の名前と推定される墨文字「…叱知」が書いている。現時点では2つの文字の正体は明確には把握されていないが、「叱」の字は新羅の人名によく使われた字で、「知」の字は名前もしくは尊称である可能性があると分析されている。漢字本は31×31センチメートルの正四角形で、外枠の四方には蓮の葉の上に浄瓶が配置された図像を描き、周りに様々な法具や蓮の葉を描写しているのが特徴的だ。絵そのものだけを見ると、中国やチベットなどの隨求陀羅尼のお守りの絵と大差はないが、呪文を描いて絵を描いた紙を分析した結果、朝鮮半島産の韓紙である事実が確認され、新羅の画家と僧侶が中国から伝来したお守りの呪文と図像を書き写したのが明らかだとされている。
新羅の画家の実物の絵は、5~6世紀の新羅古墳の天馬塚の天馬図と、リウム美術館が所蔵する8世紀の大方広仏華厳経の菩薩図に続き3番目だ。紙に描かれた彩色画としては韓国で最も古い作品といえる。
これまで学界では、仏国寺の釈迦塔から出てきた陀羅尼経が新羅最高の陀羅尼経のお守りとして知られていたが、10年ほど前、釈迦塔内の墨書紙片の記録が発掘され、釈迦塔の陀羅尼経は高麗時代に地震被害で塔が崩壊して修理する際に安置されたものだとする見解が広がっており、今回公開される隨求陀羅尼が今後は韓国で最も古い陀羅尼のお守りとして位置づけられる可能性もある。
金銅経箱は、四方の側面に武器を持つ持った神将像の姿や蓮の葉などが精巧に刻まれた素晴らしい金属工芸品だ。ハン・ジョンホ教授の論考によると、日本による植民地時代の1941年に久志卓真という日本人が刊行した『図説朝鮮美術史』で、この経箱が南山の出土品であり「内部に赤い漆で仏と菩薩像を描き、梵語と漢字で陀羅尼を書いた紙が入っていた」と紹介されたという。
博物館側は、隨求陀羅尼を広く知ってもらうために、教育プログラムなど様々なイベントも開催する。子どもの観客のためのプログラム「陀羅尼、願い事を聞かせて」が11月21日~12月12日の毎週火曜日午後2時に先着順100人で行われる。昔の人々の願い事が込められた隨求陀羅尼を現代的に再解釈した展示鑑賞のグッズをもらい、自分の願いをカードを書いて陀羅尼の世界を垣間見ることができる。