翌日、東京全域が火の海に包まれ、事態は手に負えないほど悪化した。戒厳令が宣言され、「朝鮮人暴動説」が広がった。憎悪と恐怖の狂気が伝染病のように広がった。大型の自然災害は、瞬く間に最悪の憎悪暴力と虐殺劇に達した。朝鮮人虐殺に関するマスコミ報道の統制が解除されたのは、地震発生から50日が経過してからだった。その年の12月5日、大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」は1面に「(朝鮮人)犠牲者の総数は合計6661人」という記事を掲載し、「追悼文」を載せた。
1世紀が経過した現在に至るまで、日本政府は謝罪どころか無視と隠ぺいを続けている。詩人であり文学評論家でもある淑明女子大学のキム・ウンギョ教授が、関東大震災100年を迎え、『百年間の証言』を新たに著した。単なる「事件の再構成」ではなく、悲劇の構造的背景を説明し、「削除の罪悪に対抗する記憶の復元」に重点を置いた。1998年から10年間、日本で早稲田大学教授として在職した間、日本の知識人と良心的市民の献身的な追悼活動と、日本の市民社会の小さいとはいえ大切な変化を目撃し、コリアン・ディアスポラの痕跡と現場を尋ね歩いた経験が土台になっている。
本はあわせて5章で構成されている。第1章では、地震と虐殺の主な「事件」を日付と時間順に簡潔に示す。第2章では、日本の詩人である壺井繁治が書いた14連204行の長編詩『十五円五十銭』の初の韓国語訳を収録した。第3章では、関東大震災を扱った韓日両国の作家と映画関係者の「証言」を伝える。第4章は、「真実」を示し被害者の治癒と加害者責任を求める日本の市民の組織を紹介する。第5章では、被害者と加害者すべての「治癒」の方法を検討した。
どこやらで朝鮮人の一団が
針金で数珠つなぎに縛りあげられ
河の中へたたきこまれたという噂をきいたのも
(…)
例の通り剣付鉄砲の兵隊が車内検索にやってきた
(…)
突然、僕の隣りにしゃがんでいる印袢天の男を指して怒鳴った
――十五円五十銭いってみろ!
指されたその男は
兵隊の訊問があまりに奇妙で、突飛なので
その意味がなかなかつかめず
しばらくの間、ぼんやりしていたが
やがて立派な日本語で答えた
――ジュウゴエンゴジッセン
――よし!
(…)
ああ、若しその印袢天が朝鮮人だったら
そして「ジュウゴエンゴジッセン」を
「チュウコエンコチッセン」と発音したならば
彼はその場からすぐ引きたてられていったであろう
国を奪われ
言葉を奪われ
最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ
僕はその数をかぞえることはできぬ
「ジュウゴエンゴジッセン」の発音を正しくできなかった日本の地方の人たちも、「不逞鮮人」と誤認され命を失った。一種の「集団的狂気の娯楽」だった。虐殺の最先鋒は民間人の自警団だったが、「自警団の背後には軍隊・警察・憲兵がいて、その背後には、日本の国家があった」。著者は、日本社会が天皇を頂点とする三角形の垂直構造である点に注目する。「この従属的構造に従わなければ、『憎悪と差別の対象』になる。20世紀前半の日本軍国主義は、『教育勅語』などを通して、国家主義的アイデンティティを絶えず強要した。そうした事情は今でも変わっていないというのが、著者の診断だ。安倍晋三元首相が政権を握った2012年以降、日本は「明治時代の帝国主義の栄華を夢見る」極右の歩みを加速している。学界では、日本の民主主義を「メッキ民主主義」と遠回しに言う。「外がメッキされ、中身は中世型の階級社会」という意味だ。
現在の韓日両政府が過去の歴史に対する態度は嘆かわしい。「日本政府は変われるだろうか。その話はどれほど虚しい期待なのだろうか。困難だが、1%の可能性でもあれば、いや、最初から0%だとしても、日本の政治家たちの変化を期待し、正しい話をする政治家を励まし、誤った判断に洗脳させようとする政治家は批判しなければならない」。著者は、市民社会の粘り強い戦いと連帯、正しい記憶の保全に希望を探る。「百年を記憶することは、被害者意識や自虐的態度ではない。救援の方法はすでに過去にあり、真の希望は過去の記憶から生まれる」
チョ・イルジュン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )