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親米から反米、再び「好感」に…韓国国民の米国認識、時代ごとの変化の過程

登録:2023-06-06 10:14 修正:2023-06-06 13:22
1980年12月9日に起きた光州米国文化院放火は、韓国で80年代初の「反米運動」であり、1年3カ月後に起きた釜山米国文化院放火に大きな影響を及ぼした。1982年3月18日、燃えている釜山米文化院の様子=報道写真年鑑//ハンギョレ新聞社

 「反米自主化問題をめぐる議論が急速に広がっており、大学街をはじめ韓国社会の最も重要な争点の一つとして浮上している。先月のソウル米国大使館および光州(クァンジュ)米国文化院の火炎瓶投げ入れ事件は、反米感情が特に若者の間でどれほど深刻化しているかを痛々しく見せつけた」

 1988年6月7日付のハンギョレの社説からは、当時の米国に対する韓国の雰囲気と感情を推察することができる。韓国人の周辺国好感度調査で、米国が数年間圧倒的な差で1位を占める現在の状況とはかなり異なる様相だ。1953年10月に韓米同盟が結ばれてから70年間、米国を見つめる韓国人の感情は揺れ動いてきた。韓国に対する米国の態度、韓国の経済的地位の変化、北朝鮮・中国との関係の変化などと相まって、韓国人の対米感情は屈曲してきた。

 1970年代まで韓国は「ヤンキーゴーホーム」というスローガンが出てこない「反米の無風地帯」と呼ばれたが、1980年の5・18光州民主化運動以後、雰囲気が変わった。全斗煥(チョン・ドゥファン)ら新軍部の非道な政権獲得を米国が黙認すると、これに対する失望と怒りが反米運動の土台になった。1980年代に東亜日報が実施した国民意識調査の結果を見ると、「米国に好感をもつ」という回答は1984年の69.9%から1988年には37.4%、1989年には30.1%へと大きく下がった。

 在韓米軍が起こしたむごたらしい犯罪や事故は「不平等な韓米関係」に対する市民の公憤を呼び起こした。京畿道東豆川市(トンドゥチョンシ)の米軍基地村で在韓米兵に残酷に殺害されたユン・グミさん事件(1992年)や、ソウル梨泰院(イテウォン)の外国人専用クラブの女性従業員殺害事件(2000年)、米軍の装甲車による女子中学生2人の圧死事件(2002年)などの米軍の犯罪が発生するたびに、捜査と裁判の過程で韓国の裁量権拡大を求める在韓米軍地位協定(SOFA)改正要求が強く噴き出した。女子中学生圧死事件後、2002年12月にソウル光化門に10万人がろうそくを持って集まり、SOFA改正と米軍処罰を要求し、ろうそく集会の始まりとなった。

 2003年、米国がイラク戦争を起こし、「米国が繰り広げる次の戦争は朝鮮半島になるかもしれない」という危機意識が広がった。2008年のリサーチアンドリサーチによる青少年世論調査では、「韓国の安保をもっとも脅かす国」を尋ねる質問で、米国(28.4%)という回答が北朝鮮(24.5%)よりも多かった。

 反米の風は2010年頃から弱まった。ソウル大学統一平和研究院が2007年から実施した統一意識調査で、朝鮮半島周辺の4大国のうち米国を「最も身近に感じる国」と答えた割合は毎年増えている。米国を協力対象と認識する割合は2016年以来ずっと80%台を維持し、昨年は86.3%で最も高い数値を記録した。今年4月の韓国リサーチの定期調査で、米国・北朝鮮・中国・ロシア・日本の5カ国に対する好感度を0から100の間で点数をつけるという設問に対し、米国の好感度が57.2で最も高く、日本は34.9でその後に続いた。

 ソウル大学国際大学院のシン・ソンホ教授は「国内の反米運動は、国民たちが韓米関係を次第に対等な関係と認識するようになっておさまったようだ」とし「韓国社会が一段階成長し、米中戦略競争など複合的な現実の中で米国に対する見方も変わった」と指摘した。

 米国に対する高い好感は今後も変わらないだろうか。1999~2002年に駐韓米国大使館で政治課長を務めた元外交官のデービッド・ストラウブ氏の著書『反米主義から見る韓国現代史』(2017年)の解説を書いたパク・テギュン教授(ソウル大学国際大学院)は、「米国に対する認識が良くなったというよりは、中国や北朝鮮に対する認識が悪くなったとみるべきかもしれない」とし、「在韓米軍の変化や北朝鮮の核に対する米国の態度、韓中および南北関係もまた別の要因となるだろう」と述べた。

チャン・イェジ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/1094588.html韓国語原文入力:2023-06-05 11:01
訳C.M

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