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悲しくて申し訳なくて…崩壊した日常、梨泰院惨事生存者の苦悩

登録:2022-12-26 10:47 修正:2022-12-27 08:26
30日午前、ソウル龍山区梨泰院の人身事故現場に靴とハロウィーンのカボチャの模型が転がっている/聯合ニュース

 「生存者は危機にあります。自分では(苦しみを)自覚できていないこともあるし、一人で心の中で苦しんでいるかもしれません。政府は惨事の生存者を守りぬいてください。どうか今度は、前のようにゴールデンタイムを逃さないでください」

 梨泰院(イテウォン)惨事の犠牲者、故パク・ジヘさん(29)の弟のジンソンさん(25)は遺族であると同時に、惨事当日の現場で生き残った生存者でもある。彼は、母親と姉と共に梨泰院を訪ねたのは惨事当日が初めてだったと語った。圧倒的な人の波に巻き込まれた家族は、ジンソンさんと母親は何とか救助されたが、ジヘさんはついにその場を抜け出すことができなかった。「葬儀を終えて家に帰った時、姉の痕跡がたくさん残っていたんです。片付けたくはなかったのですが、その痕跡を見ると姉を思い出すし、姉を思い出すとあの日を思い出すので、姉の荷物はほとんど片付けました。母は不眠症に悩まされていて、一日に1~2時間しか眠れていません」。22日に取材に応じたジンソンさんは、惨事犠牲者の遺族が感じる悲しみに加え、生存者として抱えるトラウマという二重の苦痛に耐えていることを語った。

 梨泰院惨事犠牲者とその遺族を徹底的に「無視」している尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権は、生存者に対しても「放置」というやり方でその存在を消し去っている。先日、ある生存者の自殺が伝えられた際に、「もう少ししっかりとして、治療を受けなければならないという考えがもっと強かったら良かったのではないか」(ハン・ドクス首相)と語ったことは、消そうとしていた存在が再びあらわになったことに対する尹錫悦政権の本音を余すところなく示している。

 尹錫悦政権は惨事を通じて明らかになった政府与党の無能と無責任を何とか任期初年度の記録から削除しようとしているが、本紙の取材に応じた惨事生存者たちは絶対に忘れられないあの日の記憶とたたかいながら日常を守ると同時に、生き残った者としての申し訳なさをも抱えていた。

 メイクアップアーティストのトン・ウンジンさん(22)は目撃者であり生存者だ。惨事発生当日は梨泰院のハミルトンホテル脇の路地付近で人々にハロウィーンのメイクを施していたが、倒れている人々の間からやっとのことで抜け出し、残酷な現場を見守らなければならなかった。心肺蘇生法(CPR)教育の履修証を持っていたのに、現場では救助活動がうまくできなかったという罪悪感にさいなまれ、よく「両腕が消える夢」を見ると語った。「悪夢や不眠症、トラウマを初めて経験しました。最近も悪夢を見たんですが、ある人が助けてくれと言うので心肺蘇生法を施そうと思ったら、その瞬間に両腕がなくなってそれができない、というところで目が覚めました」。トンさんは「犠牲者の分まで一生懸命生きよう」と決心してもいるが、まだ梨泰院広場の合同焼香所には行けないと語った。トンさんは「気持ちがとても沈んで、自分自身が抑えきれなくなりそう」と涙声で語った。

梨泰院惨事が起きたソウル龍山区梨泰院洞のハミルトンホテル脇の路地で雑貨店「ミラノコレクション」を経営するナム・インソクさんが21日夜、自身の店から惨事現場を見つめている=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 惨事現場の路地で商店を経営しているナム・インソクさん(80)も、今も惨事当日の記憶が頭から離れない。事故が起きたことを認知してすぐに路地で救助にあたったナムさんは「人々が押しつぶされている50分間」が生々しく頭にこびりついていると語った。「誰かが慰めるために酒をおごるといって呼んでくれても、行ってそのまま引き返してきます。『助けてください、助けてください』という若い子たちの声が耳にこびりついていて、あの日の風景が頭に浮かぶのに、酒なんぞ飲んでヘラヘラしていられると思いますか。店に戻って来て若い子たちのそばにいなきゃ、と思うんです」

 生存者であり救助者でもあった大学生のSさん(26)も、2カ月近く日常を回復できずにいる。「あの日家に帰った後、4~5日は悪夢を見るし、よく眠れませんでした。2週間くらいはずっと集中できなくて、人が多いところに行くと自然に頭がぼうっとしてきて。いくつかの授業に行かなかったり…。梨泰院に行ったことを知っている友人や周りの大人からいろいろと連絡をもらったんですが、『話したくない』と言っています。梨泰院に一緒に行った友人とも、あの日の話はしていません」。話さないからといってSさんの日常が惨事以前に戻るわけではなかった。Sさんは、どうにかして人々を引っぱり出して救助しようとしたものの、「できることがない」という無力感を感じたと語った。救助によってある人は生き残ったが、生き残れなかった人々が思い浮かぶ。Sさんは「誰かの死は私とつながっていると思えてつらい」と語った。

10月29日夜、ソウル龍山のハミルトンホテル脇の路地の惨事現場で、救助された市民たちが壁に寄りかかって座っている=パク・チョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 惨事に向けられるゆがんだ視線は、何とか日常に耐えている人々をさらに苦しめる。惨事現場から抜け出し、ある放送局のインタビューに応じたSさんは、その報道についたコメントが忘れられない。「インタビュー映像に『なぜそこに行ったのか』などのコメントがついているのを見ました。傷つきました。ずっとコメントを見ていたら、駄目だと感じてさらに(事件を)遠ざけるようになりました」。トンさんも、生存者と犠牲者を責めるような政府与党の暴言と悪質コメントは受け入れられないと語った。「事故が起こると思って行ったわけでもない若い子たちに対して、ひどい言葉を浴びせていると思います」

 悲しみを乗り越えてそれぞれのやり方で日常を取り戻そうと努めている生存者たちは「倒れることなく自分を守ろう」と他の生存者を慰める。ナムさんはまだ客足が戻ってきていない梨泰院の路地を照らすために、店の電気を明るく灯している。追悼客の道を照らすとともに、以前の活気を取り戻すことを願うからだ。Sさんも「生きている人間として、(惨事の記憶に)とらわれ続けていたくはない」と語った。トンさんは「梨泰院は私の仕事場であり、それ自体として本当に自由で明るいところだ。他の生存者たちにも本当に元気を取り戻してほしい。もっと一生懸命に生き、悪い気持ちを持たず、ぜひカウンセリングを受けてほしい」と語った。

 惨事の苦しみ、姉の死の前に立たされたジンソンさんは、より積極的な対策を政府に要請した。「とても苦しい日々です。崖っぷちに立たされている人たちを眺めてばかりで放置するのは、彼らを崖から突き落とすようなものです。政府は生存者を見つけ出し、治療に全力を尽くしてください」

チャン・イェジ、パク・チヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1073111.html韓国語原文入力:2022-12-26 07:00
訳D.K

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