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[梨泰院惨事]「3カ月前の誕生日に花束を贈ったのに…」パク・ユリアナさん追悼式

登録:2022-11-04 03:12 修正:2022-11-04 08:26
3日午後、梨泰院惨事で犠牲となった高麗人のパク・ユリアナさんの遺体が安置されている仁川市延寿区延寿洞のハンバク総合社会福祉館に、パクさんが働いていたロシアアカデミーの学生と同僚が弔問に訪れている=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 「3カ月前の誕生日に花束をあげたのに…別の意味で花をあげることになってとても悲しい」

 3日午後2時ごろ、仁川市延寿区(インチョンシ・ヨンスグ)のハンバク総合社会福祉館に設けられた梨泰院(イテウォン)惨事の犠牲者パク・ユリアナさん(25)の追悼空間にやって来たナターリアさん(47)の充血した目からは、涙がとめどなくあふれた。ナターリアさんの娘はユリアナさんと共に惨事の現場にいた。ナターリアさんは「2人は親しい仲でした。私の娘は生きて帰ってきたんですが…。ユリアナは本当に明るい子でした」と言って涙を流した。彼女は追悼空間の壁にもたれかかり、しばらくユリアナさんの写真を眺めていた。従姉のマリアさんは、ユリアナさんの父親のパク・アルトゥールさん(65)を見ると、彼を抱きしめてしばらく涙を流していた。彼女が覚えているユリアナさんは、優しくて明るくて友達が多かった。マリアさんは「ボランティア活動もよくする優しい子だった」と話した。

 ユリアナさんは2021年7月に韓国にやって来た。惨事直前まで仁川で幼稚園講師として働いていた。彼女は韓国に住み続けたいと言っていた。しかし先月29日、ハロウィーンフェスティバルでにぎわう梨泰院を訪れ、悲劇に巻き込まれた。ユリアナさんは4日に韓国をたつ。故郷であるロシアのナホトカで葬儀を行う代わりに、韓国では別途に追悼式を行うことになったのだ。

 微笑んでいる彼女の遺影の下には、幼い頃から今までの幸せな思い出が飾られた。昨年夏に父親と一緒に仁川の夜景を背景に撮った写真がとりわけ目を引いた。父親の肩にもたれかかる彼女の顔には、まもなく繰り広げられる韓国生活に対する期待がにじみ出ていた。

 追悼空間にはユリアナさんの知人だけでなく、近隣住民も訪ねてきて彼女に別れを告げた。近隣住民のイ・ヒョンナムさん(68)は「高麗人(1930年代以降に中央アジアに強制移住させられたロシア沿海州の朝鮮人とその子孫)の子どもたちにハングルを教える仕事をしていた。ユリアナが犠牲になったと聞いてとても胸が痛み、やって来た」と話した。この他にも様々な国籍の追悼客が彼女の冥福を祈った。

 ユリアナさんのことは2日にメディアに報道され、国民に伝えられた。彼女の父親は仕事で韓国とロシアを行き来している。淡々とした表情で取材に応じた父親のパクさんは、最初に惨事に関する連絡を受けた時のことを落ち着いて説明した。事故当日の明け方に娘に電話したが出なかった。翌日の午後12時に警察からの電話を受けて駆けつけ、娘の顔を確認したという。

 彼は娘を故郷に連れて帰る費用をまかなうのに苦心した。今年10月に韓国入りしたため、手もとにあったのは100万ウォン(約10万4000円)ほど。パクさんは知人たちに借りた金とフェイスブックを通じての募金で遺体の防腐処理費用と旅客船費用をまかなった。

 パクさんは「最初は資金不足がいちばん難しい問題だった。小さな金額から大金まで送ってくださった方々、娘を哀悼してくださった方々に感謝する」と話した。淡々としていた彼も、娘に伝えたいことがあるかとの問いには、手で顔を覆ってしばらく言葉を継ぐことができなかった。彼は「いつも娘にはただただすまない気持ちだった。言葉もうまく話せないのに鼻歌を歌っていた1歳の頃の姿がいちばん記憶に残っている」と話した。

 ユリアナさんは4日午前8時に京畿道の議政府(ウィジョンブ)乙支大学病院で出棺を終えて東海(トンヘ)へと運ばれる。午後4時に東海の国際旅客ターミナルから旅客船に乗って出発し、5日午後3時ごろにウラジオストクに到着する予定だ。同地ではユリアナさんの母親と友人たちが彼女と父親を迎える計画だ。

アン・テホ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1065644.html韓国語原文入力:2022-11-03 17:32
訳D.K

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