1990年代末、私は韓国のある私立大で数年間教鞭を執った。もちろん形だけの教授であった。正確な肩書は、講義専任講師、毎年更新が必要な3カ年契約だった。それでも150万ウォン(当時のレートで約14.4万円)ほどのわずかな月給から教授協議会の会費はきちんと源泉徴収された。ある面から見れば、会費が徴収されるだけに教授共同体は私を「同じ教授」として認定しているとみなすこともできただろう。問題は、会費はきちんと取られていても、教授協議会の集いに一度も招待されたことがなかったことだ。外国国籍者として「資格未達」という判断を受けたのだろうか? ところが、韓国国籍を申し込み、国籍が付与された後にも何も変わらなかった。「外国出身」が問題だったのか、「非正規職」が問題だったのか、私はその時も分からなかったし、今も分からない。ただ日常的に毎日観察できる差別という現状の一部分にすぎなかった。
1990年代末の大韓民国で、差別は空気のようにただ日常だった。良心上の理由から軍隊に行くことができず監獄に行った後にも、生涯二等市民として差別に耐えなければならない「エホバの証人」の信徒は、知識人社会の中でもしばしば「トライ(狂った人)」と命名された。障害者に対して「ピョンシン(肢体が不自由な人)」のような侮辱的称号を使うこともたびたび見聞きした。庶民の間で混血人に対する「トゥィギ」という蔑称を聞くこともかなり頻繁な経験だった。こうした雰囲気から、私は率直に言って韓国で子どもを産み育てることを避けたいと思った。運命的に混血人にならざるをえない私の子どもが、幼稚園・学校で「トゥィギ」などと呼ばれて涙を流すことを想像した時、差別がひどくない国に移って育児に着手しようとすることが私の唯一の気持ちだった。
その時からいつのまにか20年余りという長い時間が流れた。大韓民国は今や隣接国家の日本や中国に比べれば「国際化」に成功した。現在の韓国の総人口のうち、外国人滞留者と外国系住民を合計すればほぼ5%になるが、これは東アジアで最も高い外国系人口比率だ。国際的地位も高まり、人口構成も多様化し、人権運動家が激しく闘争してきただけに露骨な差別も今は昔のように可視的ではない。面と向かって弱者を侮辱することは、外の視線にさらされた大韓民国では、多少「旧時代的な」こととして認識される。なので、きわめて露骨な差別表現には、たびたび是正措置が断行される。私は15年前、韓国の地方の道路脇で「ベトナム新婦と結婚しませんか。絶対に逃げません。費用○○○ウォンで障害者も20代の新婦が可能、生娘保証」のような、それこそ顔から火が出そうな横断幕を見たことがある。ところが、このような横断幕が米国務省の人身売買報告書に事例として登場するや、韓国政府は急いで措置を取り、最近は見られなくなった。国内外の圧力が功を奏して、かつての差別地獄を考えれば少しはマイノリティが息をつけるようにはなった。
とはいえ、差別がある程度緩和されても、依然としてピラミッド形に構成された地位と序列の韓国社会で、他者・弱者は平等な待遇を絶対に受けられない。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は「若い世代は男性と女性という集団的構造的差別に直面せずに成長した」と豪語しているが、昨年、(尹大統領が廃止しようと考えた)女性家族部が実施した「2021年性平等実態調査」の結果では、20代女性の73.4%がその構造的性差別を日常的に体で感じると答えた。職場では女性、特に若い女性に対して難しく面倒な仕事がすべて押しつけられる一方で、オンラインでは女性嫌悪の氾濫に毎日接する。
オンラインにあふれているのは女性嫌悪だけでない。特に各種の掲示板やコメントでは、中国人に対する日帝強制占領期の侮辱的表現である「チャンケ」や「チャンコラ」などに日常的に遭遇することになる。韓国系中国人(朝鮮族)と、すでに帰化した元中国国籍所持者などを含め、全体的な中国国籍者、あるいは中国系人口がほとんど90万人にのぼる国で、中国(人)に対する人種的侮辱が何の制裁もなしに幅を利かせている。たいていの差別は重複的に現れるものだ。無期限雇用の恩恵を受けられず食堂従業員として働く在中同胞出身の女性労働者は、女性として、そして外国人(中国国籍者)として二重の差別を受け、低賃金非正規職として経済的搾取にあう。結局、多様な差別に露出した低賃金労働者に対する搾取から発生する剰余価値こそが、韓国社会の資本蓄積の一つの滋養分となっている。
差別は資本主義社会特有の経済的搾取と直結しているだけに、資本主義が存在する以上は、なかなか根絶できないだろう。だが、表面的にはあまり現れないとはいえ今でも日常茶飯事であるこの差別を、違法とすることができる法律があれば、女性、青年、非正規職、外国人、障害者、同性愛者などが毎日を生き抜いていくうえで大いに役立つだろう。差別禁止法は差別問題の完全な解決ではないとしても、その解決に向けて進む大変重要な「一歩」だ。構造的な性差別の存在を否定する発言や、事実ではないが反中国などの排外主義的感情に強く訴える「外国人健康保険不公正」発言などで非難された尹錫悦候補が結局大統領になった今、差別禁止法はとりわけ至急必要だ。尹大統領の大統領選挙遊説過程でも顕著に現れた事実だが、韓国の強硬右派は男女分断や排外主義的感情にたやすく訴えかけるなど、差別を政治の道具として利用することが多い。この強硬右派が政権についたこの期に及んでは、差別禁止法がないままでは韓国の人権状況が大きく後退するのは火を見るより明らかだ。過去20年のあいだにかろうじて成し遂げた成果も、下手をすれば失う危険性がある。
過去20年で大きく変わったことは、何よりも民意、すなわち大衆的な人権感受性のレベルだ。強硬右派は常習的に反中国情緒に訴えるなど差別を助長するが、今年4月に韓国国家人権委員会が実施した調査によれば、韓国市民の67.2%が差別禁止法の制定に肯定的だとあらわれた。今の市民は、差別禁止法の制定を15年間も先送りしてきた政治家たちよりもはるかに成熟した平等指向意識をみせている。今や政治家たちがいよいよ答えなければならない時だ。当面の政界の関心はもっぱら6月1日の地方選挙に集中しているが、任期が決められた選出職公務員に誰がなるかより、差別に露出している弱者が法的保護を受けることの方がはるかに本質的な問題だ。民主主義が存在する以上、どの政党の政権も永久ではない。しかし、どの党が選挙で勝とうが、差別禁止法すらない国は、決して先進的民主社会にはなれない。