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[フォト]写真で振り返る「水曜デモ」30年(2)

登録:2022-01-05 10:39 修正:2022-01-05 12:21
2011年12月14日の第1000回水曜デモで「日本軍慰安婦少女像(平和の碑)」が公開されている。高さ120センチの少女像と空の椅子でできたこの平和の碑は、日本大使館に向き合うように設置された=キム・ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

 1992年に始まった日本軍性奴隷制問題解決のための定期水曜デモが、今月8日に30年を迎える。水曜デモは1991年8月14日に金学順(キム・ハクスン)さんが初めて慰安婦被害事実を公に証言した後、1992年、宮沢喜一首相(当時)の訪韓に先立ち、同年1月8日に韓国挺身隊問題対策協議会(現正義記憶連帯)のメンバー約30人が、在韓日本大使館前で集会を開いたことから始まった。1995年の阪神淡路大震災の時を除き、「水曜集会」は30年間毎週欠かさず開かれている。世界的にも類を見ない最長集会記録だ。

 水曜デモは、韓国社会で慰安婦問題をはじめ未だ清算されていない日帝強占期(日本の植民地時代)の過去問題を公論化することに貢献した一方、被害者と世界市民が連帯し、女性の人権と平和を叫ぶ歴史の現場として位置づけられた。平和の少女像も水曜集会1000回目を記念して建てられた。

 日本軍性奴隷制問題解決のための定期「水曜デモ」30周年の集会が、5日正午に開かれる。今回の水曜デモでは、被害生存者の映像上映や国内外の市民の連帯発言、公演などが予定されており、参加者は集会を終えて外交部まで行進する。正義記憶連帯は「この30年、水曜日の季節が数え切れないほど過ぎていく間に、平和路には女性の人権と平和が芽生え、連帯の声は全世界に響き渡った。にもかかわらず30年がたった今、水曜デモは過酷で冷たい歴史否定の現実と向き合っている」とし、「新たな30年の扉を開き、無知と無視を乗り越え、日本政府の責任を問うために水曜デモを開いた方々の勇気を振り返りたい。その初心を思い出し、再び水曜デモを力強く続けていきたい」と語った。

 30年間の水曜デモの歴史を写真で振り返る。(1からの続き)

2011年12月14日の第1000回水曜デモの参加者の後ろに、今は撤去された旧在韓日本大使館が見える=キム・ジョンヒョ記者//ハンギョレ新聞社

2015年10月14日に開かれた第1200回水曜デモで、新政治民主連合の文在寅代表(当時。前列右)が、司会を務めたイ・ヨンスさんを見つめて笑みを浮かべている=イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社
2017年9月13日の第1300回水曜デモで、参加者が「韓日慰安婦合意」の無効化などを要求している=キム・ジョンヒョ記者//ハンギョレ新聞社
第1400回水曜デモは、第7回世界日本軍「慰安婦」メモリアルデーであり、光復節74年を翌日に控えた2019年8月14日に行われた。この日の水曜デモは、国内13都市をはじめ、日本や米国など海外9カ国21都市で行われた=共同取材写真//ハンギョレ新聞社
第1500回水曜デモは2021年7月14日、1人デモで行われた。正義記憶連帯はこの日、レベル4の社会的距離措置を考慮し、現場の参加者なしに1人デモを行うことを決めた=イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社
第1516回水曜デモが昨年11月3日、少女像から10mほど離れた聯合ニュース社屋前で行われている。ウィズコロナでソウル市内の集会人数制限が解除された後初めて開かれた同日の水曜デモは、保守団体が少女像前を先取りしたため、ここで開かれた=ユン・ウンシク先任記者//ハンギョレ新聞社

イ・ジョンア記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1026014.html韓国語原文入力:2022-01-05 08:22
訳C.M

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