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"月給よこせ" 米国人ら、資本の独走に‘レッドカード’

原文入力:2011/10/04 22:32(2273字)
クォン・テホ記者


ルポ|‘ウォール街デモ’震源地 ズコッティ公園に行ってみると
「金融圏貪欲を審判せよ」 数百人の怒号がこだまして
「デモ隊にピザを持っていって」 ヨーロッパでも注文電話
一画ではサキソフォン・ギターの旋律 大学祭のような‘解放区’


←3日(現地時間)米国の若者たちが米国、ニューヨーク ウォール街のズコッティ公園(リバティー公園)を占領し3週間にわたり‘ウォール街を占領せよ’デモを続けている。 デモ参加者が寄付金として寄せられたお金を数えている。 写真 ニューヨーク/ニューシスAP


金融圏と富者らの貪欲と貧富格差に抗議し3週間続いている‘ウォール街を占領せよ’デモの根拠地である米国、ニューヨークのズコッティ公園は3日(現地時間)夜にも数百人のデモ隊が集まり怒りの叫びをあげていた。

毎晩7時に開かれる‘総会’は、デモ隊の中の1人が前でスローガンを叫べばこれを唱和する形で進行された。「金融圏の貪欲と腐敗を審判せよ」、「99%と1%の戦いだ」、「もうこれ以上、米国の政治過程を信じない」等、批判を浴びせ「我々は退かない」として覚悟を決めたり、時には「我々は今、寝袋が必要だ。米国の市民よ、これは非常状況だ。陽気がますます寒くなっている。寝袋を寄付してくれ」として必要な物品目録を詠じる場面もあった。中間中間で「マイ チェック、マイ チェック」(My check, 私の月給)をリフレーンのように共に叫んだ。公共の場所で拡声器を使うことは不法なため一番前でひとりが一言を言えば、これを聞ける人々が一斉に復唱し、むしろ拡声器より大きな声が建物の壁にぶつかりこだまになって拡散した。


9・11テロで崩壊した世界貿易センター跡であるグラウンド・ゼロのすぐそばに位置するズコッティ公園周辺は30~40階の高層建築が取り巻いている。この小さな公園を長期にわたる野宿で非常にみすぼらしくて髭も伸び放題の若いデモ群衆がぎっしり埋める妙な対照はそれ自体だけで米国の現姿、そして今回のデモの性格をそのままに描いている。


あちこちにごちゃごちゃに散らばっている紙箱で作った手立て札には「ウォール街は米国経済の寄生虫」 、「金持ちは貧しい人々の血を吸って生きている」、「平等、民主主義、革命」、「億万長者、お前の時代は終わった」、「ウォール街のギャンブラーよ、企業の殺人魔ども、腐敗した政治家よ、全て消えてしまえ」等、かなり過激なスローガンが乱舞していた。


デモ隊は‘ズコッティ公園’を以前の名前である‘リバティー公園’と呼ぶ。総会が開かれるすぐそばでは5~6人の‘インターネット戦士’たちが集会の状況をそのままカメラにおさめ直ちに‘ウォール街を占領せよ’というデモ隊のホームページとフェイスブックなどにあげる。


一画では総会が開かれ、また、他方では一群の人々がサキソフォンとオーボエ演奏に合わせてごみ箱をドラムに見立て鮮やかに叩き踊るなど、80年代韓国大学街の大同祭にきたような感じだ。長い髪、ジーンズ姿の男女が床に座り、ギターを弾きフォークソングを歌った60年代ヒッピー文化を想起させもした。青色ビニールをかぶせたマットレス、寝袋、そしてナップザックなどがごちゃごちゃに散らばりあたかも巨大な路上生活者村に来たようだ。


あたかも‘解放区’のようだった。あちこちから寄付された食べ物らがひろげられれば誰もが自由に持っていって食べる。ピザ、ポップコーン、ビスケット、果物、飲み物などだ。「デモ隊が増えるより寄付される食べ物の量がより速い速度で増えている」と言う。 近隣のあるピザ屋は米国全域、さらにはヨーロッパからも「リバティー公園にピザ○○枚を配達してください」という注文があふれ、一日に200枚のピザを配達したという。リンゴも山のように積まれている。 昼休みにはあたかもバイキング食堂のように長い列ができ食事を共にする。しかし皆‘自身が食べる分だけ’少しずつ持っていくだけだ。


一方の壁には各種の本が寄付され‘図書館’もできていた。冷たい路面に横になり本を読むデモ隊たちも見かけた。この自由広場では誰もが文字通りの完ぺきな自由を謳歌するが、酒、麻薬、暴力、性醜行は禁止されている。また、夜間には自ら巡回査察組が周辺を巡回し、起きるかもしれない不祥事を未然に防止している。彼らデモ隊は特別な指導部がなく、デモの計画や方向性を直接民主主義形態で決めるため、決定は非常に遅く、一点に向かって動くことはできない。しかしこの広場に集まり夜を明かすデモ隊の中にはそれについて不平を言う人はいなかった。彼らは「言論は度々我々に向かって‘次は何をするのか’と尋ねる。それはここにいる誰も分からない。ただし、我々の戦いは始まったところであり、終わりはしないということは明らかだ」と話す。


夜が深まり、一画では夜通し消えないあかりの下で対話と討論が絶えないが、数百人のデモ隊の大部分は身を縮めて眠りについた。時々いびきも聞こえる。そのそばでは5~6人が車座になりそばの人が目覚めるかと思いギターを静かに爪弾き、小さな声で歌を歌っていた。

ニューヨーク/クォン・テホ特派員 ho@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/america/499273.html 訳J.S