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(チェルノブイリ) ‘死の土地’となった故郷…250人は相変らず

原文入力:2011-04-25午後08:36:16(2303字)
[チェルノブイリ原発災難25年] 老人たち、出入り統制の村で自給自足 農耕生活
政府 "放射能数値 時々 高くなるので警戒必要"

ナム・ジョンヨン記者

←19日、ウクライナ、チェルノブイリ原子力発電所から17km離れたパリシブ村でハルリナ ヤブチェンコ(74)が夕食を作るために自宅の台所から出ている。

チェルノブイリに戻った人々‘災難の土地’であるチェルノブイリにも人が暮らしている。放射能濃度が非正常的に高いが、人々はジャガイモを掘り井戸水を汲んで夕食を準備している。

去る19日に会ったハルリナ ヤブチェンコ(74)はパリシブ村で生まれ夫に出会い、今でもこちらで暮らしている。この村はチェルノブイリ原子力発電所から南西側に17km離れたところだ。人口5万人のプリピャティと同様、発電所から半径30km内にあり1986年事故当時に紹介され今でも出入り統制区域の中だ。ヤブチェンコが村を抜け出したのはチェルノブイリ事故が起きた1986年の一年間だけだ。

 "ヘリコプターの音が聞こえただけで誰も事故が起きたとは知らせなかったんですよ。爆音だって聞こえなかったし風が吹く時に若干の煙が飛んで来るのだけが見えました。"

お隣りに住むイワン・イワノビッチ(74)とマリア コンドゥラドゥパニャ(72)夫妻も事故の事実をはるか後まで知らなかった。イワノビッチは「翌日市内に出て行き事故の知らせを聞いたが、それまであまりにも事故が多かったために格別何も考えずに畑を耕していた」と話した。

避難用バス数十台が村に入ってきたのは事故の一週間後の1986年5月3日だった。イワノビッチ夫妻は2年間、全国をさ迷った。家族を扶養するには見慣れない都市が汚染された土地よりさらに危険だった。イワノビッチは放射能に汚染された土地に帰ってきて再び種をまいた。

ウクライナの首都キエフに用意された収容者地区で冬を送ったヤブチェンコも故郷に行く人がいるという事実を聞き、直ちに帰ることにした。彼女は「子供たちさえ連れていかなければ、無料住宅を拒み戻る人々を政府は止めなかった」と話した。

実際に当時、政府はチェルノブイリ事故と関連して住民たちを安心させるのに注力していた。さらに事故がおきた4号機周辺の他の原子炉は1990年代まで稼動していたし、運転要員は普段と同様にこちらに出入りしていた。放射能汚染に対する認識が不足した時期であり、人々は信じられないと言いながらも一人二人と故郷に戻った。このようにして1988年までに150人がパリシブ村に帰ってきたし、他の村まで合わせれば再定着者は2000人に達した。

今、パリシブ村の住民8人は農作業をしている。イワノビッチの家は通常の農場と変わるところはない。一週間に一度、補給車両が入ってくれば各種の生活必需品を買う。水は井戸から汲んで飲む。1年に2回 水質検査をするが、結果は重要ではない。ヤブチェンコは「井戸水が良くなければ政府が塞ぐが、それなら他の井戸から汲めば済む」と笑った。イワノビッチは「昨年、健康診断の時に何の問題もないと出てきた」として「私が今このように元気じゃないか」と話した。
これに対してウクライナ非常事態部傘下チェルノブイリ情報センターのユジン コンチャレンコは何の問題もないということは老人たちの信頼に過ぎないとし、暗い表情になった。彼は「私たちは相変らず汚染状況に対して警戒している。時々、飲料水と農作物から放射能数値が高く出てくる」と話した。

もちろん、この村で測定される放射能濃度は人体に直ちに影響を与える程ではない。チェルノブイリ再定着者は主に発電所の南側山林地帯に集まって暮らしている。事故直後に南風が吹き比較的放射能落塵が少なかった所だ。実際にこの日、放射能計測器で測定してみると、大気中濃度は0.2マイクロシーベルト(μSV)でキエフやソウルと同等か若干高い水準だった。だがコンチャレンコは「放射能が蓄積された一部土壌では7~10μSVまで測定されることもあった」と話した。

現在、チェルノブイリ40人、ウパチュィチュィ20人、クポバテ9人など計9都市・村に250人が統制区域境界の放射能汚染地に入ってきて暮らしている。政府はこれらの人々が60~80代の老人たちで自身が選択しただけに追い出したり農耕禁止措置をしていない。

ウクライナ政府は年間国家予算の5~7%をチェルノブイリ復旧に使っている。隣国ベラルーシも一時復旧費用が20%を越え経済成長の障害物になった。放射能落塵の最大被害国であるベラルーシは2015年までに23億ドルの追加費用が必要で、ウクライナは復旧費用以外にも7億8500万ドルに及ぶ石棺補強工事費用まで支援を受けなければならない実情だ。

ウクライナは昨年チェルノブイリ事故収拾要員に対して行う無料診療恩恵をなくした。一時事故収拾に参加したイワノビッチに与えられるのは老人年金一ヶ月分1500フリブニャ(約15万ウォン)が全て。これらの人々にキエフが安全かチェルノブイリが安全かは誰も確言できない。イワノビッチは故郷の方が安全だと言い、自身の選択を悔やんでいないと言った。 パリシブ(ウクライナ)/文・写真ナム・ジョンヨン記者 fandg@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/environment/474779.html 訳J.S