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カダフィ‘42年鉄拳統治’窮地… "最後の弾丸まで撃つ"

原文入力:2011-02-21午後09:30:02(1659字)
カダフィは‘権力死守’"デモ隊には屈服しない"
息子らが流血鎮圧指揮

デモ隊は‘血の報復’
"政治改革だけでは足りない"
軍部隊に向かい自殺攻撃

リュ・ジェフン記者

←リビア反政府デモ発生地域

ムアマル・カダフィ(69)リビア国家指導者の42年に及ぶ統治が最大危機を迎えカダフィ側もデモ隊側も‘死を覚悟した決断の瞬間’が近づいている。
20日(現地時間)第2の都市ベンガジなど東部都市のデモが西方に1000km余り離れた首都トリポリまで拡大する数時間前、カダフィの次男サイプ イスラム カダフィが国営テレビに出演し 「リビアはチュニジアやエジプトではない。最後の弾丸一発まで撃って戦う」と演説したことは、カダフィ政権が素直にデモ隊の要求には屈服しないことを示唆したものだ。チュニジアのベンアリ前大統領やエジプトのホスニ・ムバラク前大統領が広がる民主化デモに野党圏勢力と対話に出たこととは違い、リビアは序盤から無差別流血鎮圧に入った。西欧社会と2000年代以後に関係改善をしたとは言うものの、リビアはエジプトのように米国の影響圏にある国でもない。ロンドンで発行されているアラビア語新聞<シャピク アラウサトゥ>はカダフィ一家と近い消息筋を引用し 「カダフィがヨーロッパにいるすべての親戚らをリビアに帰ってくるよう指示し、彼らはリビアで死ぬ決意をしている」と伝えた。

←リビア60年

1969年カダフィがエジプトのナセル革命に鼓舞され秘密結社組織の自由統一将校団を率いクーデターを起こした所がベンガジであった点は歴史のアイロニーだ。当時カダフィがベンガジの官公庁を掌握し2時間で国王が退位し無血クーデターは成功した。以後、自身の著書<グリーンブック>で既存政党民主主義を破産した制度と批判し一種の直接民主主義を説明した彼は1977年には国名までチャマヒリヤ(社会主義人民主権民主主義)に変えた後‘ニンジンとムチ’でリビアを鉄拳統治してきた。世界10大石油生産国に選ばれるリビアの1人当り国民所得はアフリカ全体で4位で、その他のアフリカ国家に比べ絶対貧困率も低い。だが、反対勢力には亡命地にまで要員を送り徹底して報復し、特に1996年にはトリポリ近隣のアブ サルリム刑務所で暴動が起きるや重火器などを乱射し1000人余りを虐殺しても何一つ動じることはなかった。ロナルド・レーガン前米国大統領に "中東の狂犬" と呼ばれたカダフィは、米軍のトリポリ空襲でかろうじて命を持ちこたえた経緯がある。

半西欧・反外国勢力を前面に掲げたカダフィは、2003年パンナム機爆破事件などに対し巨額を賠償しテロ支援を放棄すると宣言したことを契機に米国や英国などと関係を回復する対外イメージ改善と共に民営化作業および外国投資誘致など実利追求に出た。しかし、彼は政府のいかなる公式肩書も持たず、国内では相変らず専制的統治者として君臨してきた。

北アフリカと中東地域に広がった民主化要求デモを見守りながら、多くの専門家たちはリビアの莫大な石油資源と部族間の葛藤、そして無慈悲な保安軍などを考慮する時、政権交替がほとんど難しいという判断をしてきたのが事実だ。しかし軍部隊に向かい事実上 "自殺攻撃" に出るほどの悲憤慷慨したリビア デモ隊の勢いはカダフィの政治改革の約束だけでは治めることのできない状況になった。

政権維持の鍵は軍と各部族の忠誠心にかかっているが、カダフィとしてはどちら側にも自信を持てない状況だ。こういうの中でデモ隊とカダフィ側が最後まで対抗する場合、大規模流血事態は避けられないものと見られる。 リュ・ジェフン記者 hoonie@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/arabafrica/464544.html 訳J.S