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アラブ市民革命 エジプトで花開く

https://www.hani.co.kr/arti/international/arabafrica/463101.html

原文入力:2011-02-12午前05:00:51(1219字)
‘30年鉄拳統治’ムバラク‘下野’
スレイマン "すべての統治権 軍事最高会議に渡す"
民主化デモ 18日ぶりに勝利…米国、中東政策 激変予告

キム・ヨンヒ記者

 "我々が勝利した。エジプトが勝利した。"
エジプトの首都カイロのタフリール広場がエジプト国旗と歓呼で沸き返った。去る30年間エジプトを鉄拳統治したホスニ・ムバラク(83)エジプト大統領が国民の民主化要求に屈服し結局、権力の座から退いた。チュニジアに始まった‘ジャスミン革命’がエジプトに広がり18日ぶりだ。

オマル スレイマン副大統領は11日夕(現地時間)、国営テレビに出てきてムバラク大統領がこの日 辞任しエジプト軍が統治権を持つことになったと公式発表した。10日と11日 エジプト政局は時々刻々入れ替わった。10日夜、ムバラク大統領の下野が切迫したという報道が出たが、ムバラクはスレイマン副大統領にすべての権力を委譲すると明らかにしながらも即刻退陣は拒否した。怒ったエジプトの数百万名が11日、カイロをはじめ全国でデモに出た中で、エジプト軍部は‘ムバラクが出した漸進的改革案を支持する’というコミュニケ2を発表した。以後、ムバラク一家が紅海のリゾートタウン シャルム エルシェークに去ったという報道が続いた。

そしてエジプト運命の時の午後6時。

スレイマン副大統領の短かめの声明で、エジプトは新しい歴史を書くことになった。1981年アンワル サダト大統領が暗殺されるや副大統領として権力を継承し、去る30年間エジプトを統治してきたムバラク大統領が、ついにエジプト人の力により権力の座から降りることになったのだ。ムバラク政権が米国の30年間にわたる中東政策を支える柱であったという点で、今後の中東秩序および世界秩序は激変期に入り込むものと見られる。

先月25日に始まったエジプト デモは保安警察の暴力鎮圧によりエジプト全土で少なくとも300人、多ければ900人までの死亡者が発生したが、18日間静まることはなかった。先月チュニジアの‘ジャスミン革命’で始まったアラブ世界の‘政治的覚醒’は隣国に広まりを見せ、ついにアラブ最大の人口を持つ国家でありアラブ世界の盟主でもあるエジプトの権力まで変えてしまった。

今後、エジプトの改革は急流に乗るものと見られる。1952年ナセル革命以後、前面に出て政局を主導することになったエジプト軍部がどの程度、デモ隊と野党圏勢力の要求を受け入れるのか、野党圏勢力が新しい政治空間でどれほど結集するのかにより改革程度が決定される展望だ。

キム・ヨンヒ記者 dora@hani.co.kr

原文: 訳J.S