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(エジプト) 遺体で発見された教師・銃弾を受けた10代少女・血まみれの青年たち…

https://www.hani.co.kr/arti/international/arabafrica/462587.html

原文入力:2011-02-10午前09:52:03(1461字)
エジプト民主化を導く犠牲者たちの顔
デモ途中にいなくなった市民たち 理由知らされ怒り拡散

キル・ユンヒョン記者

エジプト中部の都市 ソハグ(Sohag)に住む23才の娘 サリーチャフランは先月28日、デモ隊に従い初めて街頭に出た。ホスニ・ムバラク大統領の退陣を要求する全国的なデモが四日目を迎えた日だった。彼の友人 アリ ソフビは 「その日は金曜日で、周辺に人々が多かったために友人は安全だろうと考えたようだ」と話した。彼女は政治活動家ではないが、エジプトが変わらなければならないと考えた平凡な若者だった。

8日、チャフランの顔は‘エジプト革命’の聖地となったカイロ タフリール広場の入口に掲げられた。彼女の写真の横には今回のデモで亡くなった他の7人の写真が共に懸けられていたと<ロイター>通信が伝えた。その内の何人かは激しい殴打で血まみれになった顔だった。チャフランはデモ隊を阻むために動員された親ムバラク暴力団に殴られ亡くなった。亡くなった方々の写真の下には「彼らの血を無駄にはしない」という字句が書かれていた。

ムバラク大統領を崖っぷちへ追い立てているエジプトのデモが半月を経過し300人を越えると推定される犠牲者たちの事由が少しずつ明らかになっている。2003年に設立されたエジプトの独立言論<アルマスリ アルヨウム>は‘死んだ者の顔’というコラムを通じ、今回のデモ過程で亡くなった人々の事由を報道している。犠牲者の数はリアルタイムでタフリール広場で集計中だが、公安機関の非協力と調査妨害により被害規模が確定するにはかなり多くの時間がかかる展望だ。

ビジュアル アーティストであり教師のアフメド バシオニ(27)はデモ初期からタフリール広場を離れなかった。彼は催涙ガスと警察の暴力的鎮圧の危険の中でも歴史の現場を後世に伝えるためにビデオカメラを持ち毎日街頭に出た。彼は友人たちと貧困、高い食糧価格、広範囲な腐敗などエジプトが抱いている多くの問題について熱い討論をした。ギャラリーを営む彼の友人 モハメド アラームは「彼が願ったことは戦って記録することだった」として「友人が見せた情熱に驚いた」と話した。彼は1月28日、デモ途中で友人たちと別れた後、3日後に病院で遺体になって発見された。彼は警察が撃ったゴム銃弾を頭に受け倒れた後、通り過ぎる車に轢かれたと伝えられた。彼はフェイスブックに残した最後のメッセージで「彼らが戦争を望むなら、私たちは希望を望む。私は我が国の尊厳を取り戻そうとするだけだ」と書いた。

アレクサンドリアに住むアミラ エルサイド(16)は友人の家の窓を通してデモ光景を見守っていて、ガラス窓を破り飛び込んできた銃弾に当たり亡くなった。周辺警察署の屋上から市民のデモ参加を阻むために撃ちまくった威嚇射撃だった。翌日、父親のサミルは科学者になることが夢だった娘の遺体を埋めた。彼は 「アミラを死に追いやった者どもは自らの犯罪に対する責任を負わなければならない」とし、今回のデモ過程で亡くなった人々の遺族たちと力を合わせて政府と戦う意志を明らかにした。

キル・ユンヒョン記者 charisma@hani.co.kr

原文: 訳J.S
(↑動画はこのURLから見ることができます。)