原文入力:2010-08-23午後07:58:09(904字)
パク・ミンヒ記者
韓-中修交を1ヶ月余り後に控えた1992年7月15日、銭其チョン当時中国外交部長は平壌で金日成北韓国家主席に江沢民総書記の口頭親書を伝達した。「最近の国際情勢と韓半島の情勢変化を見る時、我々は中国と韓国が修交交渉を進行しなければならない時期が熟したと考える」という韓-中修交通知だった。
銭外交部長は当時の平壌行きに関して「相手方が我々の立場を理解してくれるかどうか分からない状態だったので平壌に向かう専用機内でずっと沈んだ気持ち」だったと回顧した。韓国戦争の間、敵軍として相対し戦い、冷戦の壁で40年を超えて堅く詰まっていた韓-中両国の修交はそれだけに困難を伴って実現し、韓半島から冷戦の時代が退く象徴として近づいた。
以後、18年という長くない時間の中で韓-中関係の発展は劇的だった。4万ヶ余りの韓国企業が中国で事業をし、年間450万人の両国国民が相手国を行き来する。韓国統計を基準として1992年63億7000万ドルであった両国貿易規模は2009年現在1409億ドルへ22.1倍増え、中国統計では同期間に50.3億ドルから1562億ドルに31.1倍も増えた。韓国の2位貿易相手国 日本(712億ドル),3位 米国(666億ドル)を合わせたよりもはるかに大きな規模だ。両国は善隣友好関係(1997年)→協力パートナー関係(2002年)→全面的協力パートナー関係(2007年)へ発展してきた。
だが、こういう華麗な軌跡にもかかわらず、修交18周年をむかえる今日の韓-中関係には‘新冷戦’の暗雲が立ち込めている。北京のある外交専門家は「韓-中関係はすでに相互依存的で分離できない水準まできた」として「韓国社会が親米か親中かを問い詰める二者択一の視線ではなく、複合的な方向を熟考しなければならない」と話した。
北京/パク・ミンヒ特派員
原文: 訳J.S