原文入力: 2009-01-18午後09:27:27
北, 海上軍事境界線 固守宣言
ソン・ウォンジェ記者
MB政権 西海(ソヘ)平和協力地帯 議論死文化
西海が新年早々から凍りついている。北韓軍が17日総参謀部スポークスマン声明を通じて、北方境界線(NLL)を否定し過去北側が宣言した西海‘海上軍事境界線の固守’を明らかにしたためだ。
北韓は1999年6月1次延坪(ヨンピョン)海戦後の9月2日、人民軍総参謀部‘特別報道’を通じて、西海(ソヘ)海上軍事境界線を宣言した。1953年国連軍司令官が韓国艦艇の北側攻撃を阻止するために設定した後、南側が事実上の海上境界線として守ってきた北方境界線を‘不法無法’の線と規定して認めないということだった。これに従う場合、延坪島(ヨンピョンド)南側海域の大部分が北韓領海に編入される。北方境界線は完全に無力化されるだけでなく、西海の5島もまた北韓領海中に閉じ込められることになる。北韓は2000年3月23日には西海の5島への通航を二ヶ所の狭い水路を通じてのみ可能にした‘西海の5島通航秩序’を公布することもした。
北韓は以後、公式的には99年に宣言した西海海上軍事境界線を掲げながらも、2006年5月4次将軍級会談を契機に新しい海上軍事境界線策定を提案した。西海の5島と北側陸地が挟む部分の海は半々に分けて、小青島と延坪島の間は領海基準について北側海岸から12海里までを北側管轄にしようという方案だ。管轄区域では以前より大幅譲歩したわけだが、南側はこれもまた北方境界線無力化につながりうるとし受け入れなかった。
その後にも、海上軍事境界線再確定可否に関して葛藤を生じさせた南北は2007年2回目の首脳会談を契機に西海平和協力地帯構築を通じてこの問題を迂回するという大きい原則で合意するに至る。北方境界線なのか、海上軍事境界線なのかという問題は南北軍事共同委員会を通じて別途協議して解決するものの、その間には共同漁労水域とヘジュ直航,ヘジュ公団開発等を通して西海を南北が共同利用する協力方案を探そうということだ。しかし以後、2次国防長官会談と将軍級会談などが相次いで開かれたが、共同漁労水域策定には成功できなかった。南側は北方境界線を基準として両側均等な海域を入れようといったが、北側は北方境界線南側海域を主に入れようとして対抗したためだ。
イ・ミョンバク政府になって以後は、西海平和協力地帯論議は事実上死文化された状態だ。南側軍指揮部は相次いで‘北方境界線死守’と‘北挑発に対する徹底した報復’を公言し、北韓も今回この間の譲歩案を越えて99年に宣言した海上軍事境界線固守を強調することで対抗した。いつでも西海上の武力衝突が再現されうる10・4宣言以前の危険な状態に南北関係の時計が完全に戻ったわけだ。
ソン・ウォンジェ記者wonje@hani.co.kr