本文に移動

“延辺抗日の住居址 蘇らせよう”…龍井,明東村‘星を数える夜’

原文入力:2009-08-14午後11:49:43
‘3・13万歳運動’主導地,産業化に昔の面影消えて
朝鮮族‘民俗村’復元に立ち上がり…尹東柱生家など位置
白頭山・高句麗遺跡地など連係観光効果も期待

ユ・ガンムン記者

←12日中国延辺朝鮮族自治州龍井市明東村にある尹東柱詩人の生家で同胞 キム・ヘウン氏が娘と一緒に誰かが黒板にいたずらで書いた“掃除当番 文益換,遅刻生徒 尹東柱”の字句を見てほがらかに笑っている。 ユ・ガンムン特派員

12日午前、中国延辺朝鮮族自治州龍井市明東村。コスモスが揺れる入り口を通って村に入ると、とうもろこし畑の向こう側で工事が真っ最中の瓦屋根の家が見える。塗料がはがされ白く乾いた柱は端正で、屋根には屋根瓦があらかた積まれている。広場には材木と工具などが散在している。朝鮮族ファン・キルラム(70)氏はこの頃ここを毎日訪ねる。捨てられたこの家を買い入れ一ヶ月前から昔の面影そのままに復元している。今日は川辺の近所の廃家から運良く昔の瓦を手に入れたと言って鼻歌を歌う。「この家が文益煥牧師一家が暮らした所です。100余年前の咸鏡道の典型的な住居でしょう。」

明東村は1899年金躍淵をはじめとする咸北鐘城,五龍川の五家族142人が豆満江を渡り切り開いた抗日基地だった。これらが建てた明東学校は北間島に散らばっていた民族学校中でも最高の名門だった。学生たちは1919年3・1運動が起きるや13日に龍井で開かれた万歳運動を主導した。

←中国延辺朝鮮族自治州

ファン氏はこういう明東村を‘朝鮮族民俗村’として復元しようとしている一人だ。州政府で高位幹部生活を送った彼は、これらと交流して民俗村敷地と復元対象,費用など具体的な破片を合わせつつある。文氏一家が住んでいた家を復元するのは、そのような構想を先んじて実現したい個人的な欲のためだ。彼は村の周辺に‘第2の明東村’を設け、我が民族の歴史と先祖の生き様を後代に伝えようという構想には龍井市と延辺自治州政府も基本的に共感しているとし、中央政府の支援さえ取り付ければ直ちに開始できると話した。

明東村は1970年代初期まで咸鏡道住居の原形をそっくり大切に保管した村だった。中央に台所を置き、西側には部屋を東側には牛小屋を持ついわゆる両筒型構造の家々が道に沿って立ち並んでいた。しかし中国の改革開放と共に産業化旋風がまき起こり、こういう様子が入り乱れ始めた。歳月の汚れがついた家々は放置されたりセメント作りに変えられた。

民俗村はこのように破壊された原形を復元し民族の文化を蘇らせることに焦点を合わせている。延辺大のある教授は「龍井は中国内の朝鮮族文化の発祥の地で、明東村は朝鮮族の歴史が息づく所」として「これを蘇らせるのは私たちの民族の魂を守ること」と話した。長白山(白頭山)と高句麗遺跡地,朝鮮族民俗村をつなぐ民族観光ベルトが形成される効果も期待することができると彼は付け加えた。

延辺のまた別の朝鮮族の村である和龍の北古城も復元が検討されている。我が民族が古くから土城を築き村を作ったここは間島と満州の民族史から除くべからざる所だ。2000年頃、土城を復元するために住民たちをすべて別のところに移住させたが、以後資金を用意できなくなり実現に至らなかった。和龍市政府はこの事業を再開するために関連専門家たちを動員し設計図を作っていると知られた。

明東村は最近韓国人ばかりでなく朝鮮族の間でも民族教育の現場として愛されている。この日午前、詩人尹東柱の生家に朝鮮族のキム・ヘウン(40・女)氏が二人の娘を連れて訪れた。龍井に住むという彼女は子供たちに我が民族の歴史を知らせたくてタクシーを借り切って来たといった。長女ヘオク(15)は「我が民族のために大変なことをした詩人の家を直接見れてうれしい」として‘清掃当番 文益換,遅刻生徒 尹東柱’という落書きが書かれた黒板の前で明るく笑った。 延吉龍井/文・写真ユ・ガンムン特派員moon@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/371259.html 訳J.S