原文入力:2011/09/19 22:17(1877字)
チョン・ナムグ記者
日本を揺さぶった反原発の叫び
福島など全国から集まったデモ隊 数km 街頭行進
‘ノーベル賞’大江健三郎 "抵抗の意志を知らせよう" 訴え
80年代以後 最大デモ…政・官・財界は‘知らぬ振り’
← "原発より生命" 19日午後‘原発とお別れするための5万人デモ’が開かれた東京、新宿区の明治公園入口でデモ参加者が‘原発反対’を訴えるポスターを持ち集まっている。東京/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr
浜通り、中通り、会津など日本、福島県の各地から来た500人余りが地域の名前を書いた旗を掲げ先頭隊列を作った。旗の上部には赤い文字で‘怒’の字が書かれていた。ノーベル賞受賞作家 大江健三郎、俳優 山本太郎、原発問題を告発してきたルポ作家 鎌田慧らが‘福島の子供たちを放射能から保護しよう’と書いた横断幕を前面に掲げて先頭に立った。すぐにシュプレヒコールが轟いた。
"原発は必要ない。生命が大切だ。"
"原発はやめよう、子供たちを守ろう。"
‘敬老の日’祝日の19日午後、日本の首都 東京都心に数万人の喚声が鳴り響いた。新宿区明治公園をいっぱい埋めたデモ隊が午後2時30分、街頭行進に出発し、隊列の長さは数キロメートルに及んだ。‘原発を停めろ’と書いた団扇、‘福島はもうやめよう’と書いた手立て札が見えた。背中に担いだカバンに‘新聞は原発反対デモを報道せよ’と書いて貼った人もいた。ギターを演奏する人、太鼓を叩く人の姿も見えた。
明け方5時、福島県、南相馬市からバスで30人余りと共に出発したというタケハシ ケイ(41)は「原発を停めるのにひとりでも力をさらに寄せたくて、6時間もバスに乗ってきた」と話した。福島第1原子力発電所から半径30km以内に暮らしている彼が住む村では、空間放射線量が時間当り1.5マイクロシーベルトに達する所が随所にある。東京、新宿の20倍を越える数値だ。
東京の東北側に接する千葉県に住むカナダのリチェンツ(52)は夫人と兄弟姉妹を連れてきていた。デモ参加は生まれて初めてという彼の妻は「買い物をするのが恐ろしい。子供たちに安心して食べさせられるものがない」 として「日本だけでなく全世界の原子力発電所を止めなければならない」と話した。
平和と生命の歌を歌ってきたというシャンソン歌手 槇小奈帆(62)は福島県浪江町で生まれた‘耳のないウサギ’の写真を首にかけていた。槇は「私たちはもう十分に生きたが、子供たちの未来が心配」とし「きれいな空気と水と土を子孫に残すことができないならば、とても大きな罪を犯すこと」と話した。
このの日デモは各地の市民団体が集まって作った集いである‘原子力発電所に別れを告げる1000万人行動’が主催した。福島原子力発電所事故6ヶ月をむかえ‘原子力発電所お別れ週間’を宣言し、この日大規模デモを行おうと訴えた大江健三郎は街頭行進に先立ち開かれた集会で「原子力で作るエネルギーは必ず犠牲を伴う」として「私たちがそれに抵抗する意志があることを日本政界に知らせなければならない」と強調した。彼は「私たちにできることは民主的なデモだけだ。しっかりやろう」と声を高めた。
主催側はこの日 参加者を6万人(警察推算 2万7000人)と推算した。1980年代以後、東京でこのように大きなデモが行われたのは初めてだ。日本市民社会はこの日のデモに目標にした5万人以上の参加を実現したことにより、来年3月を目標に推進中の‘脱原発を訴える1000万人署名運動’の成功に自信を得た。全国各地で原発反対デモは今後も継続的に行う予定だ。東京でも23,24,25日に色々な団体が主催するデモ日程が決まっている。
しかし日本政界と官僚社会、電力業界に布陣した原発推進派たちの結束は相変らず固い。菅直人前総理が意欲を持って推進した‘脱原発依存’政策は野田佳彦内閣になった後、すでに後退する兆しが伺える。<共同通信>は「野田総理が22日ニューヨークで開かれる国連総会演説で‘安全で信頼性の高い原子力エネルギーの確保は今後も必要だ’と明らかにする予定」とこの日 報道した。
東京/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/496934.html 訳J.S