原文入力:2011/06/26 23:00(1935字)
パク・ヒョンジョン記者
解雇者字家族が解雇者家族に慰労を伝えた‘希望列車85号’
双龍車・柳成企業の解雇者家族80人余りが韓進重の家族に会いに釜山行
クレーン ロボットTシャツを来て‘ニッコリ’
←整理解雇の撤回を要求しストライキ中の韓進重工業労働者家族らを慰めるために‘希望列車85号’に乗り釜山に来た双龍自動車・柳成企業の労働者家族が26日午後、釜山、中区、釜山民主公園民主抗争記念館で韓進重の労働者家族たちと共にカンガンスウォルレ(民族舞踊)をして楽しんでいる。 釜山/キム・ミョンジン記者 littleprince@hani.co.kr
日曜日の26日、京畿平沢市に住む四才のウンソは朝7時に目を覚ました。家族そろって生まれて初めて汽車に乗る日であるためだ。ウンソ家族が乗った汽車はソウルから平沢などを経て釜山へ向かうむくげ号1205号、名付けて‘希望列車85号’だ。ウンソの他にも30人余りの小さな子が両親の手を握り久しぶりの行楽にでかけた。釜山までの四時間、子供たちは借り切った列車1両でわいわい騒ぎ走りまわった。鋼鉄クレーンの腕を持ったロボットが描かれた白いティーシャツを着た子供たちは、イ・ドンス画伯が描いてくれた自分たちの顔の絵を不思議そうに眺めた。ウンソが汽車に乗った頃、釜山に住む九才のウンソも眠りから覚めた。前日の夜、母親がウンソに遠くから友だちがくるので一緒に遊ぼうと知らせた。大人たちのことは分からないように見えたウンソはこのように尋ねた。「友だちが私たちの慰労のために来てくれるの?」二人のウンソの共通点は‘父親に起きたこと’だ。双龍自動車の労働者だったウンソの父親は2年前に同僚たちと共に整理解雇に反対し解雇された後、復職闘争をしている。釜山に住むウンソの父親も職場である韓進重工業の整理解雇を阻止するために6ヶ月にわたい影島造船所で占拠示威を行っている。双龍車労働者の家族70人余りは自分たちがすでに経験した苦痛を今 味わっている韓進重労働者の家族を慰労するため釜山行列車に乗った。ストライキ中の柳成企業の労働者の妻・子供たち6人も天安駅で合流した。大人たちが傷を負ったと同じく子供たちも傷ついた。ある平沢の子供は父親を逮捕して行った機動隊のバスを思い出しバスに乗ることを恐れるようになり、ある釜山の子供はキム・ジンスクおばさんと組合員のおじさんたちを殺すなと警察に訴えた。
‘希望列車85号’が目的地に着いた午後1時頃、韓進重工業労働者の妻・子供たち30人余りは‘♥希望列車の友人 歓迎’という文字版を持ち釜山駅に出迎えにきた。彼らもクレーン ロボットが描かれた白いTシャツを着ていた。韓進重の子供たちの中には脚に矯正器をつけ車椅子に乗った九才のヒョンソもいた。ヒョンソは生後6ヶ月から母親の背に背負われていた。父親が2003年の韓進重整理解雇反対闘争に立ち上がり、母親も家族対策委の活動を始めたためだ。母親はヒョンソが稀少性難病である脊椎骨幹端異形成症を病むことになったのはそのためではないかと思い胸が張り裂ける思いだ。
姓も違い住む所も異なる二人のウンソはこの日午後、釜山、ヨンジュ洞の民主公園民主抗争記念館で手を取り合った。車椅子に座ったヒョンソは‘顔をしかめないでよ’という歌をオカリナで演奏した。清らかな音が聞こえると平沢から来た十才のジュンギュがそれとなく近づいた。午後3時、雨を避けて記念館内の小劇場で団体ジャンケンで始まる遊びの広場が行われた。カンガンスウォルレが始まると3グループに別れて座っていた韓進重-双龍車-柳成企業の子供たちが立ち上がりひとつになった。大人たちは向きあって立ち、互いに手を取り合って子供たちが通過できるようにアーチを作った。子供たちはお互い離れないように手をぎゅっと握ったまま、そのアーチの中に入っては出ることを繰り返した。子供たちはしばしの休憩時間、明日どうなるかさえ分からない韓進重労働者の妻たちの顔に暗雲がよぎった。「母親が楽しく笑う顔を子供たちに見せてこそ、さらに難しい状況にも前向きに勝ち抜くことができる」という双龍車家族たちの激励を受け、彼らは一生懸命に笑った。 別れを控えて撮ったこの日の記念写真の中にはファイティングを叫ぶ大人たちと、あどけない子供たちがいた。 釜山/パク・ヒョンジョン記者 saram@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/484541.html 訳J.S