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天国に送り出した‘娘との約束’父は守った 三星(サムスン)白血病 故ファン・ユミ 父親の‘4年闘争’

原文入力:2011/06/23 22:27(1853字)
バク・ヒョンジョン記者

"今日敗訴した他の被害者家族らも労災に違いない
無念な人々もみな一緒に戦い、労災が認められることを"

←三星電子半導体工場で仕事をし白血病で亡くなったファン・ユミ氏の父親 ファン・サンギ氏が23日午後、ソウル、瑞草洞、ソウル行政法院で開かれた‘遺族給付および葬儀費不支給処分取り消し請求’訴訟の宣告公判で勝訴判決を受けた後、記者たちに1人示威の時に使った立てパネルを持ち見せている。 キム・ジョンヒョ記者 hyopd@hani.co.kr

豪雨が降った23日午後2時、ソウル、瑞草洞、ソウル行政法院203号傍聴席最前列左端に座ったファン・サンギ(56)氏はぴくりともせず判事の口元だけを穴があくほど見つめていた。「白血病と業務の間に因果関係が認められる」という判決文朗読の声がファン氏の耳に届いた。瞬間、目の前には痛みを訴えていた娘ユミの顔が目に浮かんだ。10億ウォンをやるから市民社会団体の人々と会わないようにさせた三星関係者、娘の病気が労災とは関係ないとし勝手にしろと言っていた人々の顔も浮び上がった。30年間タクシー運転だけをしてきた父親は娘に‘お前の病気が労災と認定される時まで最後まで戦うぞ’と約束した。彼はこの日、約束を守った。ユミが天国に旅だち4年目だ。

ファン氏は2007年‘三星白血病’問題を初めて公論化した。数多くの報道機関と市民社会団体を訪ね歩き 「娘が労災で無念な思いで死んだ」と訴えた。この日午前にもファン氏は白血病で亡くなったり闘病中の三星労働者家族たちと共にイ・ゴンヒ会長が執務するソウル、瑞草洞の三星本館を訪ね1人示威をした。三星職員らに囲まれ‘職業病を認めなさい’と突き出した彼の絶叫は雨空に広がった。

3人の子供の2番目だったユミ(死亡当時23才)氏は高校卒業を控えた2003年10月‘はやくお金を稼いで弟の面倒をみる’と言って三星電子器興半導体工場に入社した。半導体原版を化学物質混合物に漬け抜きとる作業をしたユミ氏は、入社2年にもならずに白血病の診断を受けた。ファン氏は娘の病気を労災としか思えなかったといった。同じラインでユミ氏と一緒に仕事をしたイ・スギョン氏も2006年に白血病で亡くなった。「ユミの病気が再発した2006年、三星職員が病院へ辞表を受け取りに来ました。その時、白血病を労災として認定してくれと言ったところ、私に‘お父さんが三星に勝てると思いますか’といいました。」

2007年3月6日、水原亜洲(アジュ)大病院で治療を終えた後、江原道、束草の自宅へ向かったユミ氏は父親の運転するタクシーの後部座席で亡くなった。ファン氏は同じ年、勤労福祉公団に労災保険の遺族給与を申請した。勤労福祉公団の依頼で韓国産業安全保健公団で疫学調査が実施された。ファン氏はこの疫学調査が重ね重ね悔しいと語る。「今日、棄却判決を受けた他の方々も労災に違いありません。疫学調査がとても不十分でずっともめています。有害物質の一部に対しては調査をしなかったし、調査していても営業秘密だからと結果発表をしなかった部分もあります。 だから私たちは調査結果を信じられません。」

勤労福祉公団はこのような疫学調査などを根拠にユミ氏の労災を認めなかった。結局ファン氏ら5人は昨年1月、勤労福祉公団の処分を取り消して欲しいという行政訴訟を提起した。17ヶ月間続いた訴訟を準備するためにファン氏は1ヶ月に三,四回は生業の運転台を空けなければならなかった。娘を失った後、妻はからだと心がひどく傷ついた。娘の労災をやっとのことで認められたが、彼は依然としてすべき仕事が多いと語った。熱心に仕事をして病気にかかり死んでいった多くの人々の恨が解けていないためだ。「病気にかかっても勇気が無くて出てこられない人々が結構いますね。今回の判決で勇気を持って皆が一緒に戦い労災が認められたらいいですね。そして労働者の安全と権利のための労組ができなくてはね。それでこそ私たちのユミのような人がもう出てこなくなったり少なくなる筈です。」

パク・ヒョンジョン記者 saram@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/484254.html 訳J.S