原文入力:2011-05-25午後11:18:09(1479字)
当時 作業住民 "1971~72年に軍部隊が要請" 証言
民間人動員も事実…米軍・政府主張と不一致
ナム・ジョンヨン記者
1960年代末まで非武装地帯(DMZ)に枯れ葉剤を散布していたという駐韓米軍と韓国政府の主張とは異なり、枯れ葉剤散布作業が70年代初期まで続いていたという主張が提起された。 この作業に民間人も一部動員されたという証言も出てきた。緑色連合は25日、江原道、鉄原郡、生昌里の民間人統制ライン地域に住む住民クォン・ジョンイン(74)氏とのインタビューで、60年代末から70年代初めまで民間人が非武装地帯内の枯れ葉剤散布作業に動員されていた事実を確認したと主張した。
緑色連合はクォン氏が「非武装地帯鉄条網付近の視野確保のため、不毛地作業を数回支援し保護装備なしで投入され枯れ葉剤に露出した」と証言したと伝えた。これは70年代初期まで枯れ葉剤が散布されていたという疑惑を後押しするものだと緑色連合は付け加えた。
クォン氏はこの日<ハンギョレ>との電話インタビューで「71~72年春に軍部隊の要請で非武装地帯鉄条網周辺で除草作業をした」として「骸骨と傘が描かれたセメント袋のような容器に詰められたトウモロコシ粉のような粉末を軍人から渡され、それを水に溶いて噴霧器で散布した」と話した。彼は「鉄条網が張られた木の垣根の下の砂を掘った後、草が生えないように薬を散布した」として「当時、男達が大勢行ってそれを手伝った」と明らかにした。彼はその作業後、一時結核を病み今は喘息を患っている。
この間、非武装地帯での枯れ葉剤散布作業は米軍事顧問団が作った‘植物統制計画1968’により68~69年に米軍指揮下で韓国軍が2度行ったと知られていた。
これと関連して米国政府が非武装地帯で枯れ葉剤散布を担当した米軍将兵らに対する被害補償期間を公式確認された散布期間より2年以上増やしていたことが確認された。米軍主導の枯れ葉剤散布作業が70年代初期まで持続していたことを示唆する内容だ。去る1月25日付 米国政府官報を見れば、報勲部は韓国非武装地帯での枯れ葉剤散布にともなう被害補償期間を1968年4月1日から1971年8月31日まで非武装地帯で勤務した米軍に確定した。これは公式的な枯れ葉剤散布期間である1968年4月1日から1969年7月31日までより2年以上増えたものだ。
一方、在米同胞ブロガー アン・チヨン氏は24日(現地時間)実際に非武装地帯にまかれたモニュロン(Monuron)の量が韓国国防部発表より50倍程多いと見られると自身が運営するホームページ‘シークレット オブ コリア’を通じて明らかにした。
1968年当時、米軍事顧問団の植物統制計画文書と2006年12月米国国防部に提出されたエルビン ヤング博士の報告書にはエージェント オレンジ、エージェント ブルーとともに粉末型枯れ葉剤のモニュロンが7800ドラム(39万7800ポンド)散布されたと出ている。だが、1999年当時 国防部政策企画次長だったキム・テヨン前長官は記者会見でモニュロンを7800ポンド散布したと明らかにした経緯がある。
ワシントン/クォン・テホ特派員、ナム・ジョンヨン記者 fandg@hani.co.kr
原文: 訳J.S