原文入力:2011-04-29午後03:40:54(3354字)
辞意表明するやダウム、アゴラでは‘辞退反対’署名運動
‘保温サンス’等 風刺対象消えることに‘物足りなさ’表現
←アン・サンス ハンナラ党代表.
4・27補欠選選挙惨敗の責任を負って28日に辞意を表明したアン・サンス ハンナラ党代表ほどにネチズンの関心と愛(?)を受けた与党政治家も珍しい。
彼が辞意を表明するなりツイッターでは引き止めの文があふれたのに続き、ダウム‘アゴラ’では28日からアン・サンス辞退反対署名運動まで起きている。
‘コンドゥレ キム’というニックネームのネチズンが "ハンナラ党アン・サンス代表様、まだすべき仕事が多いです" という趣旨の文を載せて始まったこの署名運動は、来月9日まで18万1818人を目標にしているが、29日午前10時現在 1171人が参加している。
しかし保守団体である大韓民国父母連合会員たちは28日、汝矣島のハンナラ党本部事務所前に集まり「ハンナラ党を滅ぼしたアン・サンスは直ちに離党しなさい」としてデモを行う珍風景を繰り広げた。
保守団体から排斥されたハンナラ党政治家に対しネチズンが熱狂(?)する理由は何だろうか? 核心はいわゆるソーシャルネットワーク(SNS)時代が産んだ新しい政治消費形態と関連している。
アン代表の語録がソーシャルネットワーク空間で風刺とパロディを通じ、軽く楽しく消費されることにより、その拡大再生産の力がより一層大きくなっているということだ。ネチズンはこういう政治的‘消費の種’を退屈せぬように提供し続けた対象が消えることを惜しんでいるということだ。
保温サンス、自然産、行方不明サンスなどじ数々のニックネームを産みソーシャルネットワーク時代を熱く体験した政治家アン・サンスの語録を再整理し、アン・サンス パロディ ポスターを紹介する。
■保温サンス
ネチズンたちにアン・サンスという政治家を決定的に刻印させたのは‘魔法瓶発言’。昨年11月30日、延坪島砲撃以後 延坪島を訪問し焼け焦げた魔法瓶を持ち「これが砲弾です。砲弾」と話す映像が報道専門チャンネル<YTN>の‘突発映像’を通じて公開された。‘魔法瓶'発言は直ちに「軍未了者の目には砲弾と見えることもある」というネチズンたちの嘲弄を買い '魔法瓶サンス' というニックネームが生まれた。
しかしハンナラ党は魔法瓶発言の経緯に関し<YTN>側の演出によったものという主張を展開し世論に油を注いだ。案内者が燃えた魔法瓶を砲弾と勘違いし、アン代表に砲弾だと説明し、これを聞いた放送会社のカメラ記者たちがアン代表に「砲弾だと言いながらポーズを取って欲しい」と要請して撮影された映像だと説明した。しかし放送会社側は演出要請はなかったと反論した。
■自然産が良い
アン代表の不適切発言目録はこれにとどまらなかった。昨年12月22日、ソウル、龍山のある障害者施設を訪問し、女性記者3人と昼食をする席で「この頃、ルームサロンに行けばむしろ‘自然産’を求めていると言うよ」と言って、整形していない女性を自然産と比喩した。以後、ハンナラ党は謝罪論評したが民主党は 「責任を負って代表職を辞退しなければならない」と批判した。女性団体らも辞退要求声明を相次いで発表した。
■行方不明サンス
彼の兵役義務未修経緯を巡る釈然としない釈明は、兵役問題に敏感な若いネチズンの中で‘行方不明サンス’という皮肉とヤジを産んだ。彼は1968年に現役入営判定以後 1973~1974年に行方不明という理由で入営期日が延期される過程を経て、1975年公訴権無効措置で入営後帰宅措置する時まで行方が不明だった。彼が魔法瓶発言以前まで‘行方不明サンス’というニックネームで有名だったのもこういう兵役忌避疑惑のためだった。彼は昨年7月13日、韓国放送1テレビで開かれたハンナラ党代表最高委員選挙戦討論で兵務当局の‘行方不明処理’に対し「寺で司法試験の勉強をしている時、家に届いた入営通知書を文字が読めない老母が令状であることをわからずに伝達できなかった」と説明した。
それと共に彼は、延坪島砲撃事件が起こるや軍未了を意識してか「軍隊に入隊する」と言い、嘲笑を買った。昨年11月29日、汝矣島のあるホテルで開かれた放送記者クラブ招請討論会で「兵役義務未修についてどう思うか」という質問に「戦争が起きれば今からでも入隊する」と発言した。
ユ・シミン前長官はこれに対し、自身のツイッターに「戦争すれば入隊するのはすべての平凡な国民の義務です。政府与党代表がしなければならないことは戦争を予防し平和を守り国民が安心して暮らせるようにすることです。本当に心配です」と皮肉った。
■左派住職発言 論難
彼は奉恩寺前住職のミョンジン僧侶を左派だと言って非難したという論難も呼び起こした。昨年3月21日、当時 奉恩寺住職であったミョンジン僧侶は、曹渓宗総務院が奉恩寺を総務院直営寺刹に指定したことに対し、次のように主張した。「アン代表がチャスン総務院長僧侶と2009年11月13日にあるホテルで会い‘現政権があんな批判的な寺の住職をそのまま置いておいて良いのか’と発言し、その年11月30日総務院長当選直後にチャスン僧侶と会った席でも、アン代表が左派住職云々と言ったという話をチャスン僧侶から聞いた」
これに対しアン代表は3月22日「誰がミョンジン僧侶なのかも知らないし、その人が左派なのか右派なのか全く知らない。奉恩寺の住職が誰なのかも知らないのに、どうして圧力を加えることができるか」と事実無根を主張した。しかしアン代表とチャスン総務院長などとの集いを斡旋したキム・ヨングク曹渓宗仏教文化事業団対外協力委員は3月22日に記者会見を行い「ミョンジン僧侶の話は事実」と確認した。
彼はまた、昨年11月2日「30年以上にわたる左派の洗脳教育は我が国国民と青少年に左派の政治的扇動に簡単に陥るようにした」とし左派清算を主張しもした。
■ネチスンを敵に
彼が多くのネチズンから嘲弄とパロディの対象になったのは、インターネット世論を人為的に作り出そうとした側面も見逃せない。昨年11月5日「インターネットを見ればハンナラ党をののしりイ・ミョンバク政府をののしる内容がばらまかれているではないか」として「デジタル世界でも正面勝負をかけ必ず1年内に勝つ」と明らかにしネチズン世論を操作しようとしているのではないかという疑惑を受けもした。彼はもう一歩踏み出し、中央青年委員会任命状授与式でも「インターネットに入ってあちら側の勢力と激しく戦わなければならない」とし、インターネット世論戦を指示した経緯もあった。
■パク・ジョンチョル事件の時に活躍?
アン代表は1974年、司法試験に合格し検事として任用された後、20年間にわたり検事として勤めた。退いた後は市民団体で活動し1996年に金泳三当時大統領により抜擢され新韓国党公認で15代国会議員に当選し以後4選した。彼は1987年、パク・ジョンチョル拷問致死事件を調査した担当検事として、事件の真実を暴く先頭に立ったとし、関連著書まで出版し武勇伝を披露した。しかし検事出身のハンナラ党のある議員は「実際には別にやったことはない」と指摘した。
■パロディ ポスター
‘大韓民国子供連合(大子連)総裁’と明らかにしたツイッター利用者は28日‘サンス兄さんとの思い出整理’という題名で、この間 アン代表が登場したパロディ ポスターを相次ぎ上げ話題になっている。
‘アン・サンス兄さんと思い出整理’. 大韓民国子供連合(#korchild)で作った。
キム・ドヒョン先任記者/ツイッター@aip209.パロディ イメージ‘大韓民国子供連合’
原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/475579.html 訳J.S