原文入力:2011-04-26午後09:13:58(1636字)
チェルノブイリもフクシマも 事実隠蔽・言論統制 似た者どうし
韓国政府も情報公開を敬遠
←アン・ビョンオク気候変化行動研究所所長
チェルノブイリは現在進行形だ。事故が起きて25年が過ぎた今でも放射能が洩れ、近隣地域が幽霊都市として残っているためだけではない。今この瞬間にもチェルノブイリの影は‘死の土地’に変わった日本、福島と故障により稼動を停止した我が国の古里原子力発電所周辺を徘徊している。チェルノブイリは‘過去の旧ソ連の一事件’にすぎないという我が国における信念体系は時間と空間に対する認識の限界が表わす錯覚現象に過ぎない。世界のどこかで原子炉がただの一基でも稼動している限り、チェルノブイリは福島のようにいつでも地球村の安全を脅かす凶器となって復活しうる。
旧ソ連の大統領 ゴルバチョフが15年前に国内のある日刊紙に寄稿したコラムは次のように始まる。「私にとって人生は2つの部分に分けられる。チェルノブイリの悲劇以前と以後がそれだ。」だが、チェルノブイリが変えたものは彼の人生だけではなかった。逆説的にもチェルノブイリは真実と偽りを選り分けた裁判官だった。原子力は安全で価格の安いエネルギーだという主張は虚構であったことが天下に明らかになり、事故を起こす確率は100万分の1に過ぎないという迷信もやはり余地なく崩れ去った。
チェルノブイリ事故を通じて原発の真の姿は多角的に明らかになったが、その中でも白眉は‘原子力の平和的利用’という修辞の中にかくされていた秘密主義であった。西側世界でチェルノブイリ事故を初めて感知した人々は事故発生の二日後、自分たちの服に降り注いだ放射性物質を発見したスウェーデン ポルスマルク原子力発電所の労働者たちだった。当時、ソ連のテレビは完全な姿のチェルノブイリ画面だけを放映していた。さらに共産党機関紙<プラウダ>は「西欧が帝国主義的野心から世界の人々の関心を遠ざけるために事故規模をねつ造している」という記事を送り出しもした。
西欧の核産業はチェルノブイリに共産主義だけで起こりうる惨事だったとのレッテルを貼り始めた。日本と我が国の核工学者らは「チェルノブイリのような旧式原子炉とは設計類型が違うので我が国は安全だ」という話を呪文のように唱え続けた。事故以後、時間の経過と共に 核産業は米国、日本、韓国などで‘原子力ルネサンス’という話をまき散らすことに成功したかに見えた。昨年1月、米国ハリウッドで3Dアニメで製作された<アストロ ボーイ-アトムの帰還>は再起を夢見る核産業の意図的‘低強度戦略’であったのかもしれない。腹の中に設置された小型原子炉のおかげで、少しどころか10万馬力という恐るべき力を持ったアトムの妹の名前は‘ウラン’だった。
だが、フクシマは世の中のすべての時計の針を25年前に戻した。共産主義の産物と言っていた原発災難は世界最高の原子力発電所技術を誇った資本主義のど真中で再現された。日本政府と東京電力の事実隠蔽と言論統制は原子力秘密主義には理念も国籍も区別しないという事実を証明するとみられた。我が国も事情は違わない。現代重工業は古里原子力発電所1号機の電源供給遮断機欠陥を2年前に知っていたが、いかなる措置も取らなかった。政府は新規原発の敷地がどのようにして選ばれたかには口を硬く閉ざしている。慶州核廃棄場用地の安定性報告書は建設が始まって4年過ぎてようやく公開した。このような秘密主義が核産業の胎生的運命ならば、チェルノブイリ事故の真の教訓は‘さらに多くの民主主義’ではないのか? アン・ビョンオク気候変化行動研究所所長
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/environment/475013.html 訳J.S