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[この人] 定年退官する環境運動家 一世代のキム・ジョンウク ソウル大教授

原文入力:2011-01-28午後06:52:32(1929字)
「4大河川、莫大な予算 注ぎ込んでも完工できないでしょう」

 30年余り 環境運動の “心張り棒”
“生ゴミ ゼロ” 自ら実践も
「現政府の “学者いじめ” ひどい」
所信を曲げた専門家たちにも “一言”

チョ・ホンソプ記者

←キム・ジョンウク ソウル大教授

温山(オンサン)工団公害病論難、永宗島(ヨンジョンド)新空港建設、始華湖(シファホ)汚染、セマングム干拓、韓半島大運河、4大河川事業…。 どれも、この30年余りのあいだ韓国社会を熱くした大型の環境事件だ。 その論議の渦の中で、第一世代の環境工学者であり環境運動家でもあるキム・ジョンウク(写真・65)ソウル大環境大学院教授はいつも主役のひとりだった。

2月に定年退官するキム教授は27日「最も記憶に残る事件は何か」という質問に「過去を考える暇がない」と答えた。 裁判所の判決、予算可決、親水法(親水区域活用に関する特別法) 可決と、ブレーキなしで推進されている “4大河川事業” 問題があまりにも大きくて重要なためだ。

「4大河川事業は絶対に完工できない事業です。 高くなった川の水位に合わせて排水システムと土地利用などを全部変えるには多分50兆ウォン以上かかるでしょう。堆積し続ける川底の土砂の浚渫と自転車道路など川辺の施設と堰の管理にも莫大なお金がかかり、結局は川を堰がなかった以前の状態に戻さなければならないでしょう」

キム教授はまた、1991年のフェノール事件以後30兆ウォン以上を投入した結果、川の水はかなりきれいになったけれども湖の水質は悪くなったことを例にあげて「湖に変わってしまう4大河川の富栄養化はとても深刻なものになるでしょう」と憂慮した。

国内初の環境工学専門家として82年ソウル大教授になって以来、彼は環境運動の頼もしい心張り棒だった。 89年初めての専門家環境運動団体である「環境と公害研究会」会長に就任したキム教授は「金と権力がある所には多くの専門家がアリのように集まっていくが、環境汚染の被害をこうむった貧しい無力な住民を助けたり市民に学問をわかりやすく伝達しようとする専門家はなかなかいない」とよく言った。

だが、常に環境と市民の側に立つ彼を、歴代どの政府も快く思いはしなかった。キム・デジュン(金大中)、ノ・ムヒョン(盧武鉉)政府ともセマングム事業などを巡って葛藤を生じさせた。 彼は「今になって見れば、民主政府の環境政策は問題はあったけれども、人に対する態度は現政権とは大きく異なっていた」と語る。「チョン・ドゥファン(全斗煥)、ノ・テウ(盧泰愚)政権の時もこんなことはなかった」と皮肉って、彼は現政権の下でなされている“環境学者いじめ”の経験を紹介した。 全国津々浦々を回って4大河川反対の講義をする彼の講義会場には、どうして分かったのか5人の人が替わりばんこに現れて、キム教授を非難する小型のプラカードを掲げたり大声でわめいたりして講義を妨害した。また大学当局は、もう何年も前の特講授業に30分遅れた事実を掘り起こしてサバティカルイヤー中であったキム教授に事由書を出させもした。 「誰かが私の過去に不正がないかホコリをはたいてみたようでした」 4大河川事業に反対する他の教授たちと同様、彼もやはり政府研究費申請は最初から考えもしない。直接確認はできなかったが学界に「教授のブラックリスト」があるという噂が広まっている。

政府と保守言論が“反対のための反対屋”と決め付けるのに対し、彼は「決して環境一つに固執はしなかったし、先進国水準の主張をしただけだ」と一蹴した。 彼はむしろ権力に屈しへつらって自らの学問的所信を曲げてしまった専門家たちこそ真の科学者の道を歩んでいないと言い、「現政権の政治功績を挙げるならば、専門家の玉石を見分けることができるようにしてくれたことだ」と話した。

キム教授は退任以後も、「エネルギー分け合いと平和」理事長、キリスト教環境連帯共同代表など市民運動を続ける予定だ。 彼の環境実践の1つ。 77年にソウル清潭洞(チョンダムドン)の一戸建て住宅に住み始めて以来、生ゴミを一切家の外に出していない。 生ゴミは全部ミミズにより堆肥になって庭の土に帰った。

文・写真 チョ・ホンソプ環境専門記者 ecothink@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/environment/461183.html 訳A.K