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‘義人イ・スヒョン’去って10年 韓・日 "その名を忘れない"

原文入力:2011-01-26午後09:25:17(1543字)
日本、イ・スヒョン奨学会 設立
毎年 10万人余りが寄付の波
映画作り慰霊碑 建てる
東京・釜山で追悼式 開く

チョン・ナムグ記者

日本、兵庫県のある高等学校教師は今でも毎月1万2626円(約17万ウォン)をLSHアジア奨学会に寄付している。奨学会が作られた時からすでに9年目だ。‘12626’という数字は彼が決して忘れないと誓った‘義人’イ・スヒョン氏が亡くなった2001年1月26日を象徴している。

その日の午後7時15分、東京の赤門会日本語学校に留学中だったイ・スヒョン(当時26才・高麗大貿易学科 休学)氏は新大久保駅構内で電車を待っていた。一人の男が線路に落ちるのを見た彼は、直ちに線路に飛び降りた。イ氏と共に飛び降りた日本人カメラマン関根史郎(当時47才)等、3人は残念なことに線路から抜け出すことができなかった。

見慣れない異国の地で人のために犠牲を厭わなかったイ氏の行動は長期不況に疲れていた日本人の心を揺さぶった。追慕の波が日本全域に広がった。2006年には日本政府の支援を受けた映画<あなたをわうれない>が製作されもした。事故当時、イ氏の遺体を収容した赤門会日本語学校のパク・シチャン(61)理事長は 「韓流が日本でこのように広まることができたのはイ氏の行動が韓国と韓国人に対する日本人の認識を大きく変えたため」と断言した。

26日、東京、千代田区の主婦会館でイ氏の父親イ・ソンデ(71)氏と母親シン・ユンチャン(61)氏、日本人追悼客など300人余りが参加した中で10周忌追悼式が開かれた。菅直人日本総理は菊田真紀子 外務省政務官が代わりに読んだ追悼辞で 「日本国民は10年が過ぎた今でも故人の勇気ある行動を忘れていません」と話した。李明博大統領もクォン・チョルヒョン駐日大使を追悼式に送り「‘韓国・日本両国の掛け橋になりたい’という故人の意向を深く思い、両国の友好・協力関係をさらに発展させるために努力しなければならない」と明らかにした。2001年当時、日本外相を務めた河野洋平前議員と田中真紀子議員などは直接参加した。前原誠司外相、韓流スター ペ・ヨンジュン氏など10人余りが追悼式に花を送った。

イ氏を賛える公式追悼式は今回が最後だが、イ氏の英文名を取ったLSH奨学会は今後も毎年 日本語を勉強するアジア青年50人を支援するなどイ氏を賛える事業を継続する。28日には四谷区民ホールで追慕慈善音楽会‘アジアの風になって’が開かれる。

一方、イ氏の母校である釜山、金井区のネソン高校でもこの日、イ氏の高校後輩と遺族など30人余りが参加した中で10周忌追悼式が開かれた。参席者たちはネソン高校入り口にある‘イ・スヒョン義行記念碑’前で献花と黙祷を行い、故人の意を称えた作文大会で入賞した作品を構成した本<あなたをわすれない>を捧げた。

‘義人イ・スヒョン精神宣揚会’のハン・ギョンドン会長は追悼辞で「最も恐ろしいのはイ・スヒョン氏を少しずつ忘れることで、そうならないようにすることが私たちの責務」として「私たちは緩んだ気を引き締めて新たな決意を確かにしなければならない」と付け加えた。イ氏の妹婿シン・ギヨン氏は「彼の高貴な犠牲精神が10年でなく100年後にも伝えられたら良いだろう」と話した。

東京/文・写真 チョン・ナムグ特派員、釜山/キム・グァンス記者 jeje@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/460808.html 訳J.S