原文入力:2010-09-10午後09:59:53(1859字)
大腿骨・頭蓋骨 見つかったが
警察 手に取るやいなや崩れる
両親・姉妹ら とめどない涙
来年‘結婚の夢’やりきれない思い
残った鉄粉 処理方案 苦心
イム・ジソン記者
←溶けた鉄 冷めた後に骨片が…‘涙の入棺式’
手を触れるやいなや崩れた。10日午前10時、グラグラと沸いた溶けた鉄が冷めた後から発見されたキム・某(29)氏の大腿骨と頭蓋骨骨はかろうじて形体を維持していた。 摂氏1600度を越えるとけた鉄中でみな乗ってしまわないで残ったことだけでも奇跡に近かった。 唐津(タンジン)警察署科学捜査チーム所属警察官が酸化された遺骨を用心深く袋に入れた。
骨片を見て遺族たちが嗚咽した。 キム氏の両親と三人の妹はとめどなく涙を流した。 出勤して帰ってこられない息子、弟(妹)がそちらにいるという事実が信じられないようだった。 事故の知らせを聞いても死骸さえ見られなくて胸が崩れた四日だった。 遺族たちはその四日の間出棺日も埋葬地も決められないまま葬儀場を涙で守ってきた。
葬儀場に空いたままポツンと置かれていた木棺が工場に入ってきた。棺に白い韓紙が敷かれ崩れた骨片を納めた。亡くなったキム氏はようやく横になる所を得た。去る7日翌1時50分頃、忠南、唐津郡のファンヨン鉄鋼製鋼工場で仕事をしていて溶けた鉄の中に落ち亡くなったキム氏の入棺式はこのように進行された。
あるネチズンががキム氏の事故の知らせを聞き‘その溶けた鉄 使うな’という追悼詩をインターネットに載せ、追悼詩が素早く広がり多くの人々が彼の死を惜しんだ。だが、事故現場の電気炉にもう溶けた鉄は残っていなかった。ある青年を飲み込んだ真っ赤に溶けた鉄は四日後には冷めて痕跡もなく消えた。その場には白い灰のように鉄粉だけが残った。それでも余熱で記者が履いていた長靴の底が少しずつ溶けるほどだった。摂氏1600度はまさに想像を絶する熱気だった。
キム氏は昨年6月に会社に入社した新人だった。唐津で生まれ2年制大学の自動車学科を卒業した後、小さな広告会社に通い看板を作っていた。そうするうちに安定した職場を探し、この会社に志願した。会社関係者は「当時、他の志願者に比べて年上だったが、我社に入りたくて この町内に引越しまでしたという話に情熱が感じられ採用した」と語った。1年余り仕事をして安定を得た彼はガールフレンドと来年には結婚する夢を見ていたと周辺の人々は伝えた。
7日明け方、彼はいつものように作業服姿で電気炉周辺で仕事をしていた。4班3交代で24時間フル稼動する工場で彼は夜11時から朝7時まで勤める班だった。一班に6人ずつ、屑鉄を電気炉に入れ溶かした後、溶けた鉄を次工程に送る仕事だった。この会社では一日に100tの屑鉄を7~8回溶かし、また、一日に三回ずつ20分程度‘スプレー補修作業’という補修作業も行う。
この日午前1時20分頃、屑鉄を新たに電気炉に入れるのに先立ち‘スプレー補修作業’が始まり、キム氏は電気炉周辺の清掃を引き受けた。‘スプレー補修作業’をする際は電気炉の丸い蓋が開けられる。当時、電気炉には溶けた鉄15t程度が残っていた。翌1時40分、キム氏の同僚はキム氏が電気炉投入口付近にまたがっている鉄筋片を片づけようとパイプを持ち働く姿を見た。その後に見たものは、キム氏がとけた鉄の中に落ちている姿だった。
電気炉は当分稼動しない予定だ。警察は「溶けた鉄は比重が大きく人が落ちれば無条件に上に浮かび上がるので死骸と関連がある部分は鉄の上部分だけ」と話した。ところが同僚を失った悲しみに陥った会社は‘その溶けた鉄 使うな’という弔詩の題名どおり残った15tの鉄屑をどのように処理すべきか悩んでいる。ファンヨン鉄鋼イ・グァンソン管理チーム長は「近い将来、会社で亡くなった方のための鎮魂祭を開き御霊を慰労し大きな悲しみに陥った同僚らを慰める計画」と話した。
去る一年間、仕事場で事故性災害で命を失った人は1401人だ。これらの内、30才未満は113人に達する。惜しい青春が倒れた現場には一日中 冷たい雨が降っていた。
唐津/イム・ジソン記者 sun21@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/439266.html 訳J.S