原文入力:2010-08-15午後09:06:42(6240字)
定年控えた民族史学者チョ・クァン教授
チェ・ウォンヒョン記者、イ・ジョンチャン記者
←来る30日に定年をむかえるチョ・クァン教授がソウル、安岩洞の高麗大研究室で自身の著述らを調べている。右上側に積まれている本の中に安重根義士関連資料が見える。チョ教授が所長を務める安重根記念事業会安重根研究所は来月25巻<安重根全集>を出版する。安義士を‘知行合一の代表的人物’として評価するチョ教授は、安義士と関連した2・3次著述は洪水のように溢れているが、実際に1次著述を集めた‘全集’がないという事実がいつも残念だったと語る。イ・ジョンチャン先任記者 rhee@hani.co.kr
韓-日強制併合100年を迎え、去る10日 菅直人日本総理の談話が発表された。韓-日併合の強制性を迂回的に認め、韓国民に苦痛を与えた点を謝罪する内容だったが、韓-日過去史清算の核心内容である‘併合の不法性認定’は結局 含まれなかった。
第2期韓日歴史共同研究委員会委員長として活動し、去る5月 韓-日併合の不法性を明らかにする両国知識人らの共同声明に参加したチョ・クァン(65)高麗大教授が8月末で定年を迎える。
"結局、村山談話の枠組みを跳び越えることはできなかったんですよ。だが、日本の立場では一歩進んだ側面もあるという点を認める必要があります。"
日本総理の談話を評価する老教授の声は物静かで淡々とした。民族史学界の代表的学者の一人で‘韓日歴史共同研究委員会’に参加し全く立場の異なる学者らと額を突き合わせてみた経験があり、歴史問題に対する合意がどれほど難しいことかをよく知っているためだ。
チョ教授は 「条約の不法性を認めない限り、韓-日関係の根源的な問題は解けない」という原則を一貫して強調しながらも、希望のひもを放さなかった。両国が互いに尊重し理解し対話を継続する限り、客観的な歴史の実体は近い将来にも明白にあらわれざるを得ないということが歴史学者としての信頼だ。
チェ・ウォンヒョン記者 circle@hani.co.kr
-併合条約の不法性認定はなぜ重要なのですか?
"併合条約が法的に正当だというならば、その後に展開した各種独立運動は(法的水準では)全て犯罪行為になってしまいます。父母の附日輩・親日輩らに対する断罪の根拠もなくなるでしょう。しかし、日本側の立場で見ても不法な不平等条約であったということは自明な事実です。当時、朝鮮支配は日本の憲法と関連なしに天皇の特命によりなされたし、朝鮮人に対しては一貫した差別・排除政策が適用されました。従って不平等条約、帝国主義侵略条約をどのように解釈するかが韓-日関係の最も基礎的な問題にならざるを得ません。
総理談話は限界が明確だったが、最近 日本側でこういう問題に関心を持ち同意する人が増えているという事実は鼓舞的な現象です。例えば去る5月の知識人共同声明には1期韓日歴史共同研究委員会の日本側委員長を引き受けた三谷 太一郎前東京大教授が参加しました。日本学界に影響力の大きい元老として、当時 外務省では‘国益を代弁できる人物’と見て委員長を委嘱しました。声明を主導した和田春樹東京大名誉教授のような方はあまりにも進歩的指向が強く、日本社会では‘当然そうだろう’と思うが、この方が声明に参加したということは非常に画期的なことです。また、初めは両国で100人ずつ集まった学者が即座に500人ずつに増えました。これらの人々はまだ日本社会では少数派に属するが、こういう流れは今後の韓-日関係を樹立していくにあたり相当に望ましいことです。"
韓日歴史共同研究委で両国たびたび見解差
常識に合致する‘事実’探し、少しずつ前進すべき
"感情的‘民族代表’振舞いは信頼を阻害する"
-今年3月で韓日歴史共同研究委員会2期活動が終わりました。教授様は1・2期の2回 共同研究に全て参加したが、どんな評価が可能でしょうか?
“歴史に対する相互に異なる認識を教科書から正すことが必要です。教科書は歴史認識を共有し、後進に譲る道具なので国際平和に大変重要な役割を果たします。そうするならば互いに何が同じで何が違うのか、どんな意見の差があるのかを調べてみる作業が先行しなければなりません。共同研究は合意点を引き出すよりは、合意点導出のための1次作業として、お互いの認識を比べてみることにその目的を置いていました。1期は2002年、金大中大統領と小泉総理の合意により、2期は2007年盧武鉉大統領と小泉総理の合意でスタートしました。私は1期では委員長だったチョ・トンゴル教授の代理として、2期には委員長として活動しました。2回の共同研究で多くの主題が議論され、任那日本府など一部主題に対しては一致した立場も導き出すことができましたよ。100編を越える関連論文があふれ出たりもしました。
我が国の人々が考える常識と、日本の人々が考える常識の間には大きな乖離があります。共同研究でも学者どうし争う場面がたびたびありました。だから、お互いに対する信頼と尊重が重要です。度々乖離を呼び起こさずに、常識が合致する地点を着実に捜し出し、少しずつ前進するのです。例えば日帝時代の教科書に、三韓が日本の侵略を受け朝貢を捧げたという‘三韓朝貢説’が載ったりもしましたが、今は日本でもその神話を信じる人は殆どいません。教科書にもありません。客観的な研究をするならば、わい曲された事実はいくらでも正すことができるということでしょう。こういう過程は長い時間を必要とします。外から見れば、共同研究者は生ぬるいと感じることもあります。ある時、ある国会議員が‘研究費を3億ウォンも使って、なぜ共同教科書は作れなかったのか’と尋ねるので、3億ウォンで解決される問題だったら、ここまですることもなかったと答えたことがあります。根本的な作業であるだけに、さらに大変で長くかかる方法でしょう。ドイツ-フランス、ドイツ-ポーランド、ドイツ-チェコなども50年間も額を突き合わせた末に共同教科書を作り出すことができました。”
-両国学者たちの態度はどうですか? 共同研究に民族史学的観点や立場が反映されたりもしますか?
“民族主義史学は植民支配と分断を克服するための歴史理論として大きな意味があります。しかし日本にもそれなりの民族主義があるだけに、民族主義間の衝突は決して望ましくはありません。両国の平和と友好増進に目的を置いた共同研究では、韓国と日本が共有できる‘事実’を探すための努力をします。民族主義史学でも日本のいかなる歴史理論でも、承服するほかはない事実を明らかにすることが最も大きな目的です。日本が過去史に対して謝罪することは謝罪し、補償することは補償する、おおらかで大局的な態度を示すべきなのはあまりにも当然です。しかし、我々もまた 過度に‘民族代表’になってはならないと考えます。よく我が国の若者たちが日本の人々に‘我々はお前たちにしてあげたことが多いが、お前たちは我々を侵略し困らせた’として鬱憤に満ちて、あたかも民族を代表して抗議します。これは一種の‘社会的遺伝’です。これを切り、先ず人間としてお互いを理解することができなければ、信頼と尊重を積むことはできません。もちろん私たちが先に‘武装解除しよう’と言うのではありません。あまりに意気込み駆け寄るのではなく、互いに同時に武装解除する段階を追求しようということでしょう。
時には学問外からの圧迫を感じる場合もあります。この部分はわが方より日本側が更に激しいでしょう。日本の右翼勢力はあまりにも強硬ですから。国内でも‘対馬領有権’等を主張する声があります。しかし対馬は日本領土という証拠がはるかに多いです。もし共同研究でこのように結論が出るならば、わが方でも学問外からの圧迫をあたえる人々が現れるでしょう。それでも学者としての良心が常に優先されます。事実を事実の通り話す勇気が無いならば、学者だとは言えず学問をする必要もありません。”
-3期共同研究活動はどうなるでしょうか?
“両国首脳が合意をすればスタートできます。すでに我が方では3期活動を提案しましたが、最近 日本側の国内事情が複雑で未だ具体的な進展がないと理解しています。早い時期に途切れずに続くように願います。共同研究が続けば、ある段階に至ればドイツ-フランスのように共同教科書も可能になるでしょう。そうでなくても共同執筆原則のようなものは十分に用意できるでしょう。私は共同研究の結果に大きな希望を持っています。”
-国内問題に視線を転じてみます。最近、歴史を軽く見る傾向がより一層強くなっているようです。
“現政権スタート後‘歴史問題はふろ敷に包んで棚の上にのせる’という政府の態度を見て強く腹が立ちました。それなら放っておこうと。ところが見て下さい、大統領が日本に行く度に必ず歴史問題を話さなければならないじゃないですか? それが現実です。歴史は特定人が、特定集団が議論したり止めたり決定できることではないと言うことでしょう。
何よりも歴史を含め人文学を巡る劣悪な条件が最も大きな問題です。人文学の重要性が全般的に低く評価されています。一年に3兆ウォンほどになる韓国研究財団予算の内、人文社会科学分野が占める比重はせいぜい6~7%程度にしかなりません。金額で調べれば、人文学の全体予算が200億ウォン程度の計算ですが、智異山半月熊を復元するのに150億ウォン、イ・ソヨン氏を宇宙にさっと送るのに200億ウォンかかったといいます。国家財政が正しく配分されないための現象です。人文学は水であり空気です。普段はそれのありがたみを感じることはないと思いますが、それなしには生きていくことはできません。例えば、となりの国の状況や彼らとの関係、そういうことをどれほどよく理解しているかが国家の力量につながります。その中でもとても重要なものが歴史ですが、まともに認められていません。私が大学院生たちに時々こういう話をします。‘講師が自殺したという話は聞いても、飢えて死んだという話は聞かない。熱心に勉強しなさい’と。悲しい冗談でしょう。歴史学、人文学は情熱を持った人々の自己犠牲で持ちこたえているわけですから。”
菅総理 強制併合100周年談話‘限界’予想
それでも 日本で‘不法条約’認識 増え鼓舞的
“現政府 歴史教育 放置…建国以来 最大危機”
-今年からは高等学校で国史を最初から習わないこともできる教育課程が適用されましたね。
“昨年末に改定発表された‘未来型教育課程’は国史科目を高等学校1学年の選択科目に変更しましたね。2学年段階では国史科目が最初からありません。大学入試が至上目標の現実の中で、国史のように頭が痛い科目は選択されもしないので、大部分の高校生が国史を習わないと見ることができるでしょう。
自国の歴史を学ぶことは、自分の見解だけを強調したり自分だけが有利になろうとすることでありません。もっと広い世の中を学び、世界文化の多様性を学ぶために自らの‘基準’を学ぶことです。私の背丈が何 ㎝かも分からずに、他人の背がどうして分かりますか? 自国の歴史も知らない状態で市民としての役割、民族構成員としての役割、来るべき将来に対する鋭い洞察力、こういうものを期待できますか? したがって国史は高等教育課程で必ず教える必要性があります。これについて歴史学界で声明も出し強く反発したが、政策を作る人々は聞いた素振りもしません。私はこういう現象を‘大韓民国建国以来最大の危機’と呼びたいのです。”
-2006年高麗大文科大学長だった教授様は、文科大教授たちと共に人文学の危機打開を促す‘人文学宣言’を発表しました。他の大学もここに連鎖的に参加し社会的にも大きな波紋を起こしましたね。ところが国史教科課程問題は相対的におとなしかったようです。
“大変重要な問題ですが、大衆の関心を受けることができず、他の事件と共に埋められてしまい非常に残念です。歴史学界が声明も出し、あちこち寄稿もするなど反発したのですが、きちんと知らせることができなかったために大衆から呼応を得ることができませんでした。歴史学者たちの責任が大きいと考えます。しかし歴史学界の責任が1ならば、政策を樹立した官僚たちの責任は100でしょう。今からでも歴史教育がきちんとなされるよう誤った政策を正さなければなりません。”
-定年後にはどんなことを計画していらっしゃいますか?
“定年を控えて、この間出版できなかった論文を整理し<朝鮮後期 思想界の転換期的特性>等、8冊の本を出しました。今年は3冊程度の本を更に出す予定で、安重根義士の著作など1次資料を集めた<安重根全集>(全体25巻)も9月に1次出版します。こういうことを指して‘怠けもの農夫は日暮れに忙しい’と言うのでしょうか?(笑い)
何よりも2つの仕事に専念する計画です。先ず‘韓国古典文化研究院’で行う古典翻訳作業にまい進するつもりです。最近では朝鮮後期捕盗庁記録、すなわち警察の事件記録を翻訳しています。当時の民衆の暮らしを詳細に読むことができます。日帝時の検察記録などにも挑戦しようとします。2番目は、教科課程改悪を引き戻し、国史の重要性を知らせる、‘歴史の本来の席をさがす運動’を広げようと思います。今のような状況で、若い人々は顔色を伺うこともあるでしょうが、定年まで過ごした私はどうして顔色を伺う必要がありますか? 言いたいことは言ってこそ気がすむだろう、言わなければしこりができて病気になります。”
←チョ・クァン教授
■チョ・クァン教授は
チョ・クァン教授は韓国後期天主教史研究の大家であり、カン・マンギル高麗大名誉教授の後に続く民族史学界の代表学者に挙げられる。1945年、ソウルで出まれた彼は本来、神父になるためにカトリック神学大学に進学した。しかし「大学生の友人の一人もいたら良いのに」と言った労働者チョン・テイル(1948~1970)の話に衝撃を受け、歴史学者に進路を変えた。その後、彼が拘りつづけた学問は始終一貫、民衆の歴史、変革の歴史に関するものだった。朝鮮後期に徹底した迫害の中で民衆に平等社会を作るための理念にとして位置した天主教の歴史、植民支配の足かせを跳び越えようとした近現代韓国社会思想の歴史が彼の主要研究主題だった。
彼はまた‘正しい学問’に対し言葉を慎まない実践的知識人としても挙げられる。韓-日歴史紛争の真中で共同研究を主導し、同僚学者たちの声を集めて‘人文学の危機’を叱責し、人文学研究支援の軸を用意することもした。こういう多様な活動のおかげで、韓国史研究会会長、韓国古典文化研究院院長、安重根研究所所長などいろいろ‘タイトル’を付けることもした。
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/435134.html 訳J.S