原文入力:2010-07-06午後10:06:11(1196字)
食べるために夫・娘を置いて脱北
韓国でも貧困…自殺で生を終える
北・中・南 で3回結婚‘数奇な人生’
キム・グァンス記者
北韓に暮らしていたパク・某(36)氏は1997年12月、良い暮らしを夢見て娘と夫を残し母親(62)とともに鴨緑江を渡った。23才の時だった。パク氏は中国黒龍江省で中国人と再び結婚し2人目の娘を産んだ。
苦しい生活は続いた。韓国に行く機会を伺ったパク氏は2003年7月ある牧師の助けでフィリピンを経て母親とともに仁川空港に到着した。夢に見た韓国に足を踏むために中国国籍の2人目の娘を中国に残して行く選択をしなければならなかった。
パク氏は母親とともに釜山に定着した。20㎡余りの賃貸アパートの支援を受けて国民基礎生活保障受給者として月々70万ウォン余りを受け取ったが、特別な資格証や職業がなく生活苦が続いた。
生活苦に苦しんだパク氏はキム・某(49)氏と3回目の結婚をした。前夫と離婚をせず婚姻届は出せなかったが3番目の夫と何とか暮らして娘と息子をまた産んだ。2005年7月には夫について慶南、統営に移った。
だが、刺身料理屋に魚を運ぶ夫の稼ぎは良くはなかったし、夫との事実婚の間柄が知られ、国民基礎生活保障受給資格まで剥奪されてしまった。パク氏は2006年7月に2人の子供を連れ再び釜山に戻った。
母親が暮らしていた釜山の賃貸アパートに入ったが、生活苦は相変わらずだった。区庁から月々90万ウォン余りの支援金を受け取りアパートの管理費を払い基本的な生活費を使ったらいつもギリギリの暮らしだった。幼稚園に通う2人の子供をテコンドーとピアノ学院にやりたかったがとても無理なことだった。
5~6才の子供たちのために直接仕事を探しに出ることもできなかった。長い間、脱北生活をしながら得た関節痛などに うつ病まで重なった。還暦を迎えた母親が一生懸命に保険設計士として働きに出た。
パク氏は5日午前11時頃、自分のアパート ベランダでカバンのひもで首をくくった。恨み多い現世との縁を自ら断ってしまった。居間に残された遺書には「子供たちに苦労を背負わせて申し訳ない。子供を仁川の親戚に任せて、お金の心配なしに暮らことができますように」と記されていた。
釜山鎮区庁住民生活支援課チャ・ユソン氏は「パク氏が先月2番目の子供の養育費を申請したのを見て、直接仕事を探そうと考えたようだが、自ら命を絶ったのは急なことだった」として「苦労して南にきて良い暮らしをしたかったのだろうけど残念だ」と言葉を濁した。
釜山/キム・グァンス記者kskim@hani.co.kr
原文: 訳J.S