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戦争決定権・防衛主導権 米国から韓国の手に

原文入力:2010-06-26午前08:34:07(1991字)
戦作権転換 何が変わるか
米 1994年 北韓、寧辺核施設 爆撃準備の時
大統領府は何の通知も受けられなかった
戦作権なしでは韓国軍 独自軍事行動 不可能

クォン・ヒョクチョル記者


















↑キム・テヨン国防部長官(右端)が6・25戦争(韓国戦争)60周年の25日、ソウル、龍山区の戦争記念館で開かれた21ヶ参戦国戦死者追慕行事に参加し、ウォルター シャープ韓米連合司令官(右から2番目)と共に、戦死者名簿の前で黙祷をした後 移動している。 シン・ソヨン記者 viator@hani.co.kr

韓国軍の戦時作戦統制権(戦作権)が転換されれば何が変わるのだろうか? この質問の答えを探す過程は、戦作権転換を巡る転換論者と延期論者の長年の論争の適正性を判断する一つの定規を提供することができる。

軍事指揮体系の変化が複雑に絡まっているが、戦作権転換の核心骨子は意外に簡単だ。米軍4星将軍である韓米連合司令官(駐韓米軍司令官)が行使してきた韓国軍戦作権が、大韓民国合同参謀議長に渡されることになる。これは‘韓国が戦争決定権を持つ’という意味だ。

最初に、戦作権転換に賛成する側の問題意識は‘韓半島での戦争決定が我々の手になく他人の手にある’ということだ。

第一次北核危機が頂点に向かって登りつめた1994年5~6月米国政府は北韓、寧辺の核施設に対する空中爆撃など事実上韓半島で全面戦争に飛火できる対北韓武力制裁を準備した。だが当時、大統領府は何の通知も受け取ることができなかった。

当時、金泳三大統領秘書室長だったパク・クァンヨン前国会議長は、後日 言論インタビューで「当時米国は韓国に対する通告、軍事力結集、韓国駐在米国人避難などの事前措置が北韓に事前攻撃の口実を提供しうると判断し、(韓国に通知なしで)すぐに攻撃をしようとしたということだ。驚きを越え‘我々の運命がこのように決定されていたんだな’という虚脱感を感じた」と明らかにしたことがある。

保守陣営では天安艦事態後、断固たる対北韓軍事報復を注文した。だが、韓国軍独自の対北韓軍事行動は事実上不可能だ。韓国軍が1994年12月に平時作戦権は還収したが、戦争抑制,自衛的対応など6ヶ事項は韓国合同参謀が韓米連合司令官に権限を委任したためだ。韓米連合司令官に委任されたこの平時作戦権6ヶ事項も戦時作戦権転換がなされれば委任状態が消滅する。このために天安艦事態後、対北韓軍事報復と戦作権転換延期を同時に叫ぶ保守陣営の主張は辻褄が合わないという批判を受けている。

←ペク・キワン統一問題研究所長(前列左から2番目)と‘平和と統一を開く人々’等、市民団体会員たちが25日午後、ソウル、中区 貞洞の環境財団レイチェルカスノールで記者会見を行い、戦時作戦統制権転換延期方針の撤回を要求している。 イ・ジョンチャン先任記者 rhee@hani.co.kr

第二に、韓国の防衛を韓国が主導することになる。韓半島全面戦争に備えた‘作戦計画5027’は厳密に言えば、米国の韓半島作戦計画だ。5027の前の数字‘50’は米国防総省作戦暗号上の韓半島地域を意味しており、後の‘27’は状況による細部計画だ。作戦計画5027は韓国軍ではなく米太平洋司令部が総括する。

韓国民の生命と財産がかかっている作戦計画5027は米国の世界軍事戦略の下位範疇だという意味だ。韓米連合軍司令部で長く勤めたある予備役佐官級将校は「韓国軍が米軍が作ってくれた作戦計画をどのように運用するかに集中した結果、戦術的思考に止まり20~30年後を見通す戦略的思考を出来なくなっている」と話した。‘韓国防衛の韓国化’と戦作権転換はコインの両面のようにかみ合っているという指摘だ。
現在の韓国軍定員が60万人に決められていることも、1960年の韓-米合意に従ったものだ。当時、韓国は韓国戦争で疲弊しており国防予算を全て米国軍事援助で充当しなければならなかった。米国は韓国軍の数があまりに多ければ援助額が増え、当時 李承晩政権が北進など単独軍事行動に出ることを憂慮し韓国軍定員を60万人に制限した。

ある軍消息筋は「米国の戦争物資で戦闘を行い、米軍事顧問官が大隊まで常駐し作戦計画を編成してくれた韓国戦争の時は戦作権委譲が避けられない側面があった」として「韓国が経済規模13位圏、軍事費支出10位圏に達した今は軍事権制約の限界を抜け出さなければならない」と話した。

クォン・ヒョクチョル記者 nura@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/427547.html 訳J.S