原文入力:2010-06-15午後09:25:32(4825字)
※聖骨:新羅時代の身分制である骨品制の最上位身分であり、父母共に王族に属する者(訳注)
アン・チャンヒョン記者,イ・ポニョン記者,イ・スニョク記者
←検察職員らがソウル、瑞草洞、ソウル中央地検検察ロゴが彫られた建物ガラス壁前を歩いている。 キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr
"今の検察の危機は過去とは全く違う。道徳性、政治的中立性、捜査能力の3側面で一気に危機がきたためだ。" 去る4月、ハン・ミョンスク前総理1審無罪判決と相次いで弾けたスポンサー検査波紋を見守ったある検察幹部の率直な吐露だ。最近数年間、検察がいくつかの懸案を処理する過程で政治的偏向性論難を買ったが、‘ハン・ミョンスク無罪’と‘スポンサー検事’事件で、捜査力と道徳性までが疑いを受けることになったということだ。彼は「中立性是非があっても検察が捜査して起訴するほどであれば罪があるのは確実だという信頼を与えてこそ、それなりの名分を得ることができる。また、能力が不十分でも道徳性に対する信頼があれば持ちこたえることができる。ところが今はどちら側もない」としてため息を吐いた。
総合的且つ重層的な危機の中で、一般国民が‘スポンサー検事’に象徴される道徳性問題を大きく見るならば、検察内部では政治的偏向と捜査力弱化問題を深刻に受けとめる雰囲気だ。検察の本領に直接相対している領域であるためだ。「この頃はかなり消えたとしても、とにかく度を越した接待文化は明らかに誤りだ。今回の機会に問題がある人物は取り除くなど果敢に処理すれば良いことだ。だが、検察の捜査力、政治的中立性論難はあまりにも敏感で構造的な問題なので答がない。」(ソウル地域のある部長検事)
公論化されはしなかったが、検察内部で政治的偏向性と関連した自省の声が全くないわけではない。私席では 「裁判所の調停に応じたことが背任だとしてチョン・ヨンジュ韓国放送(KBS)社長を起訴したのはひどすぎた」(最高検察庁高位関係者),「告訴・告発があったわけでもなく、金額も少なく中途半端な陳述一つで前職総理を起訴したのは常軌を逸したこと」(ソウル中央地検関係者)という話が出るほどだ。
捜査力弱化を巡る憂慮の声はより一層広範囲に及んでいる。去る4月9日ハン前総理に無罪が宣告された後、検察首脳部と捜査チームは強い語調で裁判所を非難したが、一線検事らの間では「こういう粗末な特別捜査がどこにあるか」 として内部問題を指摘する声が大きかった。ある検事は「検事たちが集まった席で誰かが‘ハン・ミョンスク捜査の10大問題点’をいちいち挙げていたよ。外部に言えないからそうなのであって、検事たちの間でもその捜査の問題点に対する糾弾が多かった」と話した。自他共に認める特別捜査通のある検事長は「特捜の崩壊」となげいた。
どうして検察が政治的偏向性、捜査力弱化問題で憂慮と自己恥辱感を感じなければならない状況になったのだろうか。これに対して検察内・外部を問わず‘組織と人事の問題’と口をそろえる。
検察は軍隊以上に位階的な組織だ。盧武鉉政府時期の2004年に検察庁法で検事同一体原則が‘検察事務に関する指揮・監督’条項に代替されたが、検察組織文化は格別の変化がなかった。検事たちの意識や人事制度はそのままだったためだ。特に1年単位で人事を行い脱落者を探し出す過度な競争型人事システムは検察を巡る数多くの問題点の根源として指定される。
まず、上に上がるほど席が急激に減る組織構造では‘業務に対する忠実度’と同じ程度に‘上司や組織に対する忠誠’が重要だ。これは時に‘検察権のオーバー’に繋がる。チョン・ヨンジュ前韓国放送社長捜査が代表的だ。「総長主宰の検事長会議の席で事件を受け持ったパク・ウンソク部長(当時ソウル中央地検調査部長)が報告をした。数人の参席者たちが‘裁判所の調停に応じたことが罪になるのか’として懐疑的な反応を示したが、担当部長検事があまりに強く有罪が確実だと主張して、そのまま(起訴をする側に)進んだ。」当時、会議に参加した幹部の話だ。常識に逆らった起訴を強行したパク部長検事は現在、法務部政策企画団長として仕事をしている。
検事長昇進前後の段階では‘忠誠度’に‘政治力’が重要な人事要因に追加される。力があり、出世できる職務を引き受けるためには長官や総長がしっかり推したり、大統領とかその周囲の執権勢力と縁を結ばなければならない。検事長人事は長官と総長が協議し輪郭を定めた後に大統領府で最終決定権を行使するが、この過程で力のある誰かが一言話してくれるかが決定的影響を及ぼしうる。検察事情に明るいある弁護士は、李明博政権になった後‘盧武鉉政権と親密だった’という理由などで法服を脱いだ検事たちの隠された理由をこのように紹介した。「大統領選挙を前後して大部分の検察幹部らが新政権側に‘忠誠の誓い’をしたという。ある検察幹部は一歩遅れて‘通路’をうわさをたよりに捜したが、そこで言われたって。‘なぜ今ごろ来たのか?’と。」このようにして結ばれた検察上層部と政権核心部のねばっこい関係は‘政治検察’の土壌となる。また、その癒着は捜査機密流出の通路になったりもする。敏感な捜査の核心機密が特定言論に報道されれば、捜査チームでは「いたずらに仕事を忙しくするように私たちが流すか。皆斟酌しているのに…」として組織首脳部や大統領府、国会へ視線をそらす。法曹記者らの間でも‘この記事のソース(出処)は瑞草洞ではないね’と話す場合が多い。
‘政治力’だけではないが、企画通の重用も憂慮の恐れがある人事パターンだ。過去の軍事独裁時期に公安通が‘聖骨’接待を受けたが、歳月が流れ企画通がその代わりをすることになった。端的に言えば検察特別捜査指揮のハブの役割をするソウル中央地検3次長と最高検察庁捜査企画官の席を見よう。キム・ジュヒョン ソウル中央地検3次長は平検事の時に法務部検察局刑事企画課で勤め以後、最高検察庁企画課長、法務部検察課長・広報官などを務めた。イ・チャンジェ捜査企画官も検察局国際刑事課で平検事時期を送り、法務部刑事企画課長・検察課長などを経た。一線経験よりは長官や総長を補佐した法務・検察官僚経歴が長い。
これは軍に例えれば、国防部人事局で勤めてきた人々が野戦部隊の花といえる特戦司令官や海兵隊司令官に抜擢されたことと似ている。「一線検察庁でそれなりに認められた人々が推薦を受け法務部や最高検察庁に入るだけで、そんな単純な問題ではない」(最高検察庁高位関係者)という指摘もあるが、こういう人事が大多数の‘野戦検事’たちの剥奪感を招き捜査力論難につながることもまた事実だ。
こういう憂慮はハン・ミョンスク前総理捜査の時に克明に現実化した。公安通のノ・ファンギュン ソウル中央地検長と企画通のキム・ジュヒョン3次長が事件をまともに取りまとめられなかったという指摘が生じた。ソウル中央地検特捜部を経たある検事は「‘(ノ・ファンギュン検事長とキム・ジュヒョン3次長などが)特捜どころか交通事故事件でも認知事件をやったことがあるのか疑問だ’、‘事件を取りまとめなければならない人々がまともに取りまとめてこそ事故がおきないのに、そうなると思っていた’という話が多かったよ」と伝えた。
このように企画など特殊職務を経た人々だけが優遇される構造は検察内部に‘20対80’構造を作った。ソウル地域のある部長検事は「誰も指摘しないが、同じ検事でも率直に行って出世する特定少数は決まっているのではないか。過度な競争の中で法務部、その中でも検察局出身の企画通たちが最高検察庁やソウル中央地検など要職を回りながら組織を掌握して行く。このような組織になると検事の80%は出世をあきらめ、そのままサラリーマンになって行く」と話した。
検事内部の‘20対80’は職務で区分され始めるが、歳月が流れるにつれ両者の異質性が大きくなる。法務部-大検察庁-ソウル中央地検の‘トライアングル’を巡り検察核心部で主に勤めた‘20’は、組織に対する忠誠度が高いうえに、検察内部世論までを主導する。これらは検察に対する社会的批判にも敏感だ。
先立って‘20対80’構図の問題点を指摘した部長検事は「検事5年目を前後して有力者の推薦を受け法務部に入れば、その検事はずっとうまく行く。直前職務により次の職務が与えられるが、法務部に勤めれば次の職務も望む所に送るためだ。そのように育まれた検事たちが大概は検察至上主義者となる」と話した。一線検察庁の刑事部などに布陣した‘80’は相対的に政治・社会的に無色無臭な方だが、組織内での発言権は弱く世論を主導することもできない。
2006年9月、クム・テソプ当時ソウル中央地検検事の<ハンギョレ>寄稿(‘現職検事が語る捜査を受ける方法’)時に、そのような二元化の一断面があらわれた。突然検察調査を受けることになったら弁護人の助力を受ける時まで何もするなという趣旨の文に、最高検察庁とソウル中央地検は蜂の巣を突付いたように平検事らまでが立ち上がり、クム検事に‘組織の背信者’だとして声を高めた。だが、当時ソウル地域の別の検察庁に勤めた平検事は「検事長主催で討論会のようなものが開かれた。部長検事など確かに高い席にいるほど批判的であったし、若い検事たちは‘そうかもしれない’という雰囲気だったよ」と話した。同じ時期に地方に勤めたある検事は「検事たち数人かが飯を食べて話をしたりしたが、どうということもなく、そのまま終わった」と話した。検察核心部に近い検事たちであるほど敏感で激烈に反応し、そこから遠いほど寛大な姿勢を堅持したわけだ。
このように過度な競争の中で忠誠を要求し、政界の影響を受け多数の検事を排除する後進的な人事システムが作動しており、検察内部の自主的な改善や改革の可能性は低い。力のある職務で世論を主導する‘20’は恩恵を受ける人たちなので現体制を擁護し、サラリーマン化されいく‘80’も同じ検事だという理由だけであえて先鋒を担いで改革に出ようとはしないためだ。
もちろん見かけが静かだからと中身もそうだというわけではない。司法研修院教授出身のある高位裁判官は「この前、研修院の弟子たちと夕食をしたが、検察にいる弟子が‘この頃のように検事をやりたくない時はなかった。辞めようか悩み中’と話し‘検察にも立派な法曹人がいなければならないのでは’と言って慰めた。なぜ検察がこのようになったのか分からない」と話した。最近数年間、判事への転官を申請する検事がぐんぐん増えているという。
誤った人事・組織文化が検察内部の2元化を招き、少数の上層部の誤りが大多数の検事の士気低下につながるが、ここで最も大きな問題はこういう弊害が窮極的に国民被害に戻ってくるという点だ。80%の自己恥辱感が大きくなり業務意欲が落ちれば、これらが引き受ける当事者が一般国民である数多くの事件処理に影響を与えざるをえない。ある部長検事は「外部(政界)にコネを作ってこそ生き残れる構造を作っておいて、検察の政治的中立を望むのは矛盾ではないのか。すべてのことが人事に帰結されるが、これをどのように直すべきか(検察内部では)誰も答を出せずにいる」と話した。 特別取材チーム
アン・チャンヒョン、イ・ポニョン、イ・スニョク記者 hyuk@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/425776.html 訳J.S