原文入力:2010-05-31午後09:30:19(1593字)
ムンス僧侶 慶北 軍威河川辺で焼身 発見
僧服の中に "貧しい人ために最善を" 遺書残す
パク・ヨンニュル記者,チョ・ヒョン記者
←ムンス僧侶
現職 曹渓宗修道僧が4大河川事業中断などを要求する遺書を残しガソリンを浴び焼身し自ら命を絶った。
31日午後3時頃、慶北、軍威郡、軍威邑、社稷里の渭川(ウィチョン)潜水橋前の河川水辺で大韓仏教曹渓宗所属J寺で修行中のムンス僧侶(47)が焼身し亡くなっているのを近隣住民が発見し警察に申告した。
僧服の中には 「4大河川事業を直ちに中止しなさい、不正腐敗を清算しなさい、財閥と金持ちでない庶民と貧しく疎外された人のために最善を尽くしなさい」などの内容の文が書かれた手帳と僧侶証が発見された。また 「家族に申し訳ない」という内容も含まれていたと警察は明らかにした。
警察は 「この日 朝7時20分頃、ムンス僧侶が軍威郡にあるガソリンスタンドで直接ガソリンを買って行ったことが確認された」とし「色々な状況から推し量り焼身自殺したと推定されるが、正確な死因と動機を調査中」と明らかにした。
これと関連して曹渓宗総務院はムンス僧侶の‘焼身供養’の知らせに衝撃に耐えず護法部所属僧侶らを現地に急派し事態把握に出た。
総務院関係者は「通度寺、海印寺、妙観音寺など禅房で座禅精進ばかりしてきた首座だったためにさらに衝撃的」として「ムンス僧侶は近ごろ遂行にばかり専念して仏教界内でも名前がほとんど知られていないが、1998年中央僧伽大学生会長を務め相当な社会意識を持ち社会と仏教の改革を主張してきた人物だった」と明らかにした。
李明博政府の‘4大河川事業’反対運動を繰り広げた‘4大河川生命の暮らし仏教連帯’もムンス僧侶の焼身供養の消息を聞き、ソウル、曹渓寺付近に臨時に開設したソウル禅院にスギョン僧侶などが集まり対策を議論した。
‘仏教界4大河川運河開発事業阻止特別対策委員会’委員長の金浦龍華寺住職チグァン僧侶は「ムンス僧侶は4大河川反対運動に表面的に乗り出したことはない」として喉を詰まらせた。
仏教界では僧侶の焼身をキム・ドンリの小説<等身仏>に言及されたように自身の身体を仏に供養を上げる焼身供養と見る。
世界的には1963年ベトナム戦渦中にティックァンドゥク僧侶が自身のからだにガソリンをまき、あぐらを組んだまま焼身供養をして西洋の武器にも屈しない魂を見せ西洋社会に大きな衝撃を抱かせた。
また、我が国では太古宗僧正のチュンダム僧侶が1998年6月27日、京畿道加平郡、清平面、虎鳴山のカムノ寺で分断祖国の統一と生老病死衆生済度、仏教界和合興隆など3大願力をたて焼身供養した前例がある。
ムンス僧侶は1986年、シヒョン僧侶を恩師とし出家し沙彌戒と具足戒を修め、1998年には中央僧伽大学生会長を務めた。その後、通度寺、杜芳寺、海印寺、妙観音寺禅院などで遂行し、2006~2007年に慶北、清道、台山寺住職を歴任した。
一方、ムンス僧侶が遂行したJ寺のチョンウォル僧侶は「ムンス僧侶がいつも修行にばかり専念していて言葉が少なく、社会懸案に対する話も別にしたことがなかったが、普段から人に少しでも被害を与えずに自身を犠牲にする人柄から考えて、乱れている世の中に自身を投げられたことと見る」とし「葬儀は曹渓宗および僧伽大同窓らと協議して処理する」と話した。
大邱/パク・ヨンニュル記者、チョヒョン宗教専門記者、写真 曹渓宗総務院提供 ylpak@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/423406.html 訳J.S