原文入力:2010-05-24午後07:10:39(1655字)
[‘天安艦’対北韓制裁 超強手]南北交易全面中断
ソン・ウォンジェ記者
←不安な開城行き。 開城工業団地入居業者関係者たちが24日午前、京畿坡州市、都羅山南北出入り事務所を通じ開城へ向かっている。 坡州/連合ニュース
南北交易が24日 全面中断された。‘北方政策’を標ぼうした盧泰愚政府時の1988年世界的冷戦体制崩壊の流れを反映し南北間に最初の経済協力形態で登場し22年余りぶりだ。その間、南北関係の色々な峠の中でも南北交易はただの一度も完全に命脈が切れたことはなかった。今回の措置で、開城工業団地を除けば南北間交流・協力は全斗煥政府以前の冷戦時期へ完ぺきに後退した形になった。
88年初めての物品搬入・92年委託加工時代
北 年間2億6千万ドル規模 打撃予想
"直ちに処罰のために南北関係を崩すことは近視眼的"
←南北交易・経済協力 日誌
南北交易の母胎は88年の‘7・7宣言(民族自尊と統一繁栄のための特別宣言)’だ。盧泰愚政府はこの宣言を通じ 「分断の壁を壊しすべての部門にわたり(南北)交流を実現するだろう」と明らかにした。盧泰愚政府は北側工作員らの1987年11月末、大韓航空(KAL)858機爆破事件が起き7ヶ月目に南北関係のパラダイムを変えたこの宣言を発表した。
これに伴い、1988年10月には南北交易を許容する‘南北経済開放措置’が発効された。その後1ヶ月余りの11月、北韓陶磁器 519点が初めて‘搬入承認’を受けた。また、現代グループが北韓産オキシジミ40㎏を国内に持ってくるなど活気を帯びることになる。89年6月には‘南北交流協力に関する指針’が、90年には南北交流協力に関する法律と南北協力基金法が各々制定されるなど、制度的後押しも着々と進行された。その結果、89年1900万ドルに止まった一般交易搬入額は、2009年には2億4519万ドルに増えた。昨年の委託加工交易搬入額も2億5404万ドルに達した。
交易形態も単純交易から南側の原材料を北側で加工して持ってくる‘賃加工交易’、直接投資を通じた合弁工場設立などと多様化している。92年10月、コーロン商社がシャツ6200着を搬入し、対北韓委託加工の初事例として記録された。同年、(株)大宇は初めて南北協力事業者の承認を受け、南浦での衣類合弁工場設立に入った。
南北交易を中断する今回の政府措置で北側が被る経済的損失は一般交易額中10%ほどの保険・運送料を除く2億2000万余ドル、委託加工搬入額中3000万~3500万ドル程度と推定される賃加工料と900万ドルほどの運賃収入など、計2億6000万ドル内外になると統一部は見ている。交易中断にともなう北側の雇用減少と対外貿易萎縮も相当あると統一部は予想した。統一部当局者は「我々の経済規模としては微小だが、北韓の経済規模から見ればかなりの影響を及ぼす恐れがある程度」とし「一般交易や委託加工が中止される時、北韓経済に相当な影響を及ぼし、北韓内部的にも今回の挑発に対する評価が再び出てくるのではないかと考える」と話した。
しかし、22年間続いてきた南北関係の主要な経済的基盤が崩れることにともなう否定的波紋を憂慮する声も高い。ある対北韓経済協力企業関係者は「経済協力を通じて南北間敵対構造を緩和し、統一の軸を作るという既存南北関係のパラダイムは依然として有効だ」とし「当面の処罰のために長期的な南北関係の枠組みを崩すことは近視眼的」と批判した。数百ヶ所余りに達する南側交易企業等の被害も予想される。南側業者中、交易保険に加入しているところは1ヶ所に過ぎない。
ソン・ウォンジェ記者 wonje@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/422213.html 訳J.S