原文入力:2010-03-25午後07:47:35(1929字)
[安重根義士 殉国100周年] 叶わなかった願い
クォン・ヒョクチョル記者
←安重根義士の遺体が発掘され奉還されれば迎えるために1946年ソウル,龍山区,孝昌公園にあらかじめ造成された仮廟の様子 キム・ミョンジン記者 littleprince@hani.co.kr
中国,資料裏付け出来なければ発掘不許可
史料・文献証拠 徹底的に追加調査すべき
政府, 韓-中-日 共同発掘 提案検討
"私が死んだ後に私の骨をハルビン公園のそばに埋め、我が国が主権を取り戻したら故国に移して欲しい。私は天国に行っても再び我が国の独立のために働くつもりだ。"
32才の齢に中国,旅順監獄で殉国した安重根義士が2人の弟ジョングン・コンフンに残した遺言だ。国権が回復して60年をはるかに越えたが、私たちは安義士の遺骸が埋葬されたところも分からずにいる。安義士の遺骸を探せないのには色々理由がある。去る1992年に韓国と中国が国交を結び、その前までは旅順監獄付近の遺骸埋葬推定地に対する現場調査が不可能だった。また安義士殉国後、長い時間が流れ遺骸埋葬地域に関する決定的な考証資料を探すのが難しかった。
だが、安義士の遺骸を探そうとする努力は絶えなかった。白凡 金九先生の墓地があるソウル,孝昌公園には‘3義士墓地’がある。光復後、海外に埋葬された独立活動家遺骸検索に出た白凡が李奉昌・尹奉吉・白貞基義士の遺骸を探し46年7月にこちらに安置した。ところが3義士墓地には墓地が3基ではなく4基ある。一番左側にある1基には墓碑がない。封墳だけを先に作った仮廟だ。白凡が安義士の遺骸を探せずに遺骸国内奉還に備え仮廟を作ったのだ。
安義士遺骸検索が本格化したのは1992年の韓-中修交により現場を訪ねられる条件が用意され、2000年以後にチェ・ソミョン国際韓国研究院長などが日本外交資料館などから捜し出した関連資料と現地調査等を通じ旅順監獄裏山の遺骸が埋蔵されたと見られる推定地を提示してからだ。
安義士が黄海道,新川出身であり、北韓にも縁故があるので安義士遺骸発掘は南北共同で行われた。2005~2007年に何度も南北実務接触と南北共同調査団が旅順現地調査を行ったことがある。国家報勲処は南北共同調査の結果および各種証言と資料などを総合し、旅順監獄裏山を有力な安義士遺骸埋葬地だと目星をつけた。2008年3月末、南側政府は北側の同意と中国の協力を得て‘韓-中安重根義士遺体発掘団’を設け、2回に分けて29日間の発掘作業を行った。しかし遺骸を探すことには失敗し、その年の5月に遺骸発掘作業が暫定中断された状態だ。それでも2008年10月に安義士遺骸を巡る様々な説と論議を客観的に検証し遺骸推定地に対する科学的な発掘作業を盛り込んだ176枚の発掘報告書を出したことは貴重な成果であった。
←2008年3~4月、安重根義士の遺体を探そうと29日間の発掘作業を始めた中国,旅順監獄裏山. 国家報勲処提供
李明博大統領が「安義士遺骸発掘事業を韓-中-日3国が共同で行うのが望ましい」として、中国および日本政府に協力を要請することを関係当局に指示したことにより、政府は5月に開く予定の韓-中-日3国外交長官会議で公式議題として扱う方案を検討している。また関係部署と学界など各界要人を参加させ安義士遺骸発掘のため‘合同遺骸発掘団’を構成することにした。
2008年旅順監獄裏山の発掘作業に発掘調査チーム長として参加したパク・ソンジュ忠北大教授(考古美術史学)は 「安義士が埋められた場所に関し色々な主張があるが、2008年に発掘した地域が最も可能性が高いところ」として「それでも色々な主張が続いているだけに2008年の発掘報告書を再検討し、埋葬推定地域の現状変更などに対する史料と文献証拠を探す追加調査をしなければならないだろう」と話した。正確な資料で裏付けられなければ中国政府が発掘許可を出さないため、むやみには中国で発掘できないということだ。
パク教授は 「安義士の魂は亡くなって100年になるのに冷雨にあたりさびしく異国の空をさ迷っている」とし、国軍遺骸発掘のように安義士遺体発掘は国家的なプロジェクトで一貫して持続的な作業にしなければならないと強調した。
クォン・ヒョクチョル記者 nura@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/412311.html 訳J.S