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"李明博政府は総帥独裁的 企業国家 国民信頼失い正当性危機を迎える"

原文入力:2010-02-24午後07:24:44(1803字)
キム・ドンチュン教授‘韓国型新自由主義’診断

イ・セヨン記者

←キム・ドンチュン(聖公会大教授)

2年。長いと言えば長い歳月だった。韓国現代史に垂れこめた国家暴力の野蛮と市場主義の盲目を誰よりも痛烈に批判してきた彼だが、20~30年前に戻ったような逆進と退行の政治現実の前で、一度閉ざした彼の口は簡単には開かれなかった。その歳月をキム・ドンチュン(聖公会大教授・写真)は実践する社会学者としてではなく過去史整理委員会の常任委員キム・ドンチュンとして生きた。不用意な発言が、やっとの思いで準備した過去史糾明作業の正当性を傷つけようとする政権と保守勢力に余計な口実を提供しかねないというきわめて現実的な憂慮のためだった。ついにそのキム・ドンチュンが沈黙を破り話し始めた。季刊<黄海文化>に書いた‘韓国型新自由主義と企業国家への変化’という特別寄稿文を通じてだ。

キム教授は文で李明博政府の統治形態を‘韓国型新自由主義’と規定した。‘韓国型’という限定語がついた理由は、新自由主義が全世界資本主義国家の経済システムを支配してはいるが、その形態と類型は各国が歩んできた歴史的経路により異なるためだが、キム教授はこの韓国型新自由主義の特徴を文化的には‘封建主義的’であり、政治的には‘疑似ファシズム’の臭いまでが漂う "開発独裁が変形された自由なき新自由主義" に求める。これは新自由主義を‘独裁の方式’,換言すれば‘反新自由主義的方式’で推進するということだ。代表的事例が‘脱規制’を名分に大企業の違法行為を容認すること、物価を抑えるとして生活必需品価格を規制したり、為替レート安定を名目に大企業にドル販売を圧迫し、デパートに‘建国60周年記念セール’等を要請するケースなどだ。

こういう変種新自由主義が位置することになったところには、当初から親資本・反労働的性格が目立ち、企業と市場に対する公的規制がぜい弱だった韓国経済の体制慣性が位置している。こういう理由で韓国は1997年の外国為替危機以後、社会のすべての領域が資本の効率性論理により支配される新自由主義的‘企業社会’に切り替わったが、その形態は個人の責任性を強調する英米式‘所有者社会’よりは "中国式一党独裁資本主義に近接する様相" を見せているとキム教授は診断する。

こういう問題点にも関わらず、李明博政府の新自由主義が特別な挑戦なしに持続している理由は何か。キム教授は3点を挙げる。何より全社会的な‘金持ちになること’症候群から確認されるように、新自由主義化により被害を受ける勢力たちでさえ理論的・精神的に武装解除されていること、次に新自由主義体制の下での苦痛を受ける者たちを代表できない奇形的政党体系、最後には利益集団化され内部分裂まで体験している組織労働勢力の能無しだ。3点とも短期間に好転できる懸案ではないために李明博式企業国家は当分の間は常勝疾走するしかない運命なのか。キム教授はそうではないと言う。李明博式企業国家に内蔵された‘総帥独裁体制’の限界のためだ。

総帥独裁的性格は報道機関と行政府,司法府が経済再生という名の下に政治的反対勢力や潜在的批判勢力の立地を極度に制限することが特徴だ。こういう状況で民主主義は形骸化され、市民が選挙以外には政治に参加する通路は詰まることになるが、問題はこういう‘政治共同体なき市場国家’は最近のドバイ事例に見るように没落が必然だという事実だ。根本的理由は歴史性と文化的共感で結束し運命共同体的性格を持った政治共同体は、利益のために一時的に結集した企業と同じ方式では決して安定的に運営されえないためだ。キム教授は警告する。

"企業国家は正当性危機に必ず直面する。国家機関の中立的執行を疑わせたり私企業の利潤追求の道具のような機能をする印象を与えれば、国民はその国家の法と行政の執行を信頼しなくなるためだ。資本家大統領が資本主義を亡ぼすことが起こりうる。"

イ・セヨン記者 monad@hani.co.kr,<ハンギョレ>資料写真

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/406506.html 訳J.S