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韓国警警察局長の「フラク疑惑」…同窓生「辞任せよ」

登録:2022-08-19 05:33 修正:2022-08-19 10:02
国会行政安全委員会にキム・スンホ警察局長が出席 
在校生「恥ずかしい成均館人…辞任せよ」 
同窓生、民主化団体「フラク疑惑を究明すべき」 
キム局長の交代求める野党の指摘にイ・サンミン長官「検討する」
行政安全部のキム・スンホ警察局長が18日午前、国会行政安全委員会の全体会議に出席し、開始を待っている=共同取材写真//ハンギョレ新聞社

 行政安全部のキム・スンホ警察局長が出席して国会行政安全委員会の全体会議が進められていた18日午前11時、成均館大学の在学生たちがソウル鍾路区明倫洞(チョンノグ・ミョンニュンドン)の同校正門前で記者会見を行った。彼らは同校の先輩に当たるキム局長に「恥ずかしい成均館賞」を授与するとし、「直ちに警察局長を辞任し、被害者に謝罪せよ」と述べた。これに先立つ同日午前10時、ソウル龍山(ヨンサン)の大統領室前では成大民主同門会などがキム局長の「フラク疑惑の糾明」を要求する記者会見を行った。

 キム局長は繰り返し否定しているが、同氏が1980年代後半に組織責任者として活動していた仁川富川(インチョン・プチョン)民主労働者会(仁労会)の仲間たちの情報を提供する対価として、内務部(行政安全部の前身)治安本部に「対共特別採用」されたというフラク(韓国ではスパイ、手先などの意として用いられる)疑惑は収まっていない。仁労会の活動をやめた直後にこれらの団体を捜査する対共警察に変身したキム局長を、新設の警察局の責任者に任命したことについて、成均館大学の同窓生たちと野党は「31年前に廃止された内務部治安本部の復活を象徴的に示している」と批判する。

 仁労会で活動していた人々の話を総合すると、1988年当時、仁労会の富川地域の最重要幹部だったキム局長は、1989年4月に突如行方をくらました。当時、仁労会が発行した「仁労会弾圧白書」によれば、1989年1月から本格化した治安本部の仁労会に対する捜査は、アン・ジェファン会長、シン・ジョンギル、イ・ドンジンの各氏の連行(2月)、仁労会の最重要人物チェ・ドンさんの連行(4月)へとつながった。行方をくらましていたキム局長は1989年8月に突如として「弘済洞(ホンジェドン)対共分室」対共捜査3部の警察官として姿を現す。その直後の9月にはチェ・ドンさんが拘束されている。チェさんは拷問の後遺症に苦しみ、翌年8月に死亡した。

 キム局長は、仁労会の情報を警察に提供したという疑惑を強く否定する。「主思(主体思想)派運動に対して懐疑を抱いたために活動を辞めたに過ぎず、仁労会の仲間たちの拘束や捜査に影響を及ぼす陳述は全くしていない」というのだ。だが、キム局長と共に仁労会で活動していた人々は「当時、内部の人間でなければ知りえない内容も警察は知っていた」として、キム局長がフラク活動を行ったと疑っている。匿名の元警察官(警察大学1期生)は本紙に「対共捜査を担当していた人々から『キム・スンホを転向させたことが業務に大いに役立った』という話を聞いた」と語った。

全国民衆行動、全大協同友会、緊急措置の人々、成大民主同門会など、民主化運動団体の会員たちが18日、ソウル龍山の戦争記念館前で記者会見を行った。マイクを握っているのはキム局長の即時罷免を求める仁労会のイ・ソンウ元事務局長=カン・チャングァン先任記者//ハンギョレ新聞社

 国会行政安全委員会では、キム局長が全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の手先だったという疑惑をめぐり、一日中攻防が続いた。キム局長は、国民の力のパク・ソンミン議員の「仁労会は主体思想派で利敵団体だと考えるか」との問いに「そうだ。利敵団体だ」と答えた。しかし仁労会は再審で、利敵団体ではないという最高裁判決が2020年に確定している。共に民主党のイ・ソンマン議員が最高裁判決に言及すると、キム局長はようやく「誤解があった。深く謝罪する。その当時は利敵団体だったという意味で言った」と修正した。「今は利敵団体か、そうでないか」との問いには、キム局長は「(最高裁判決前の)27年間、利敵団体との判断を維持していた」と答えた。法の執行機関である警察の主要幹部が、従来の司法府の判断は誤っていたから正すという再審の意味を独自解釈したのだ。

 仁労会の活動を辞めた直後の1989年7月に、キム局長が当時仁労会の捜査の担当者だった内務部治安本部対共3部のホン・スンサン警監(警察の階級)を自ら訪ねていることも、フラク疑惑をふくらませる。この時、ホン警監がキム局長に対共特別採用があるということを伝えたという。キム局長はこの日の国会で「(ホン元警監と)5年間ともに働いた」としつつも「特別採用について助けてもらったことはない」と語った。「ソウル弘済洞の対共3分室は何の気なしに行ける場所ではない。眼帯をしてどこかも分からず連れて行かれる場所なのに、どうやって自らの足で訪ねたのか」(民主党のイ・ヘシク議員)との追及に対して、キム局長は答えられなかった。ホン元警監は、朴鍾哲(パク・ジョンチョル)拷問致死事件を隠蔽した警察官の一人と目される人物だ。キム局長はホン元警監について「自由民主主義のために生涯献身された方」だと語った。本紙は12日、ホン元警監に会ってキム局長について尋ねたが、高齢で闘病中の同氏は意思疎通が困難だった。イ・サンミン行安部長官は、「密偵」疑惑が持ち上がっているキム局長は交代させるべきだとする野党の指摘について「一度検討してみる」と語った。

 キム局長と共に活動していた大学の同窓生たちは、キム局長が20代前半だった1983年11月に強制徴集された時から密告が始まっていたと疑っている。キム局長は当時、学生運動に加担して軍に強制徴集された学生たちを保安司令部が拷問や脅迫などによってスパイとして利用した「緑化事業」の対象者だった。

成均館大学の在学生と同窓生が18日午前、ソウル鍾路区の同校正門で記者会見を行い、同校出身のキム・スンホ警察局長の辞任を求め、恥ずかしい成均人賞の授与式を行っている=パク・チョンシク記者//ハンギョレ新聞社
チャン・イェジ、クァク・チンサン、パク・チヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1055272.html韓国語原文入力:2022-08-18 16:50
訳D.K

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