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ハン・ホング 司法府-悔恨と汚辱の歴史39.裁判官らに対する理念教育企図

原文入力:2010-02-21午後06:43:13(4593字)
一部判事 韓総連事件 処罰 制動…裁判所, 配当変え‘大量実刑’
令状棄却・違憲提請に安全企画部 "判事理念 教育必要"
単独判事に時局事件 担当配分 慣例に反して合議部へ
実刑宣告率‘建国大事件’時より高い46% 記録


←1996年8月第6次8・15統一大祝典行事に参加した韓総連学生たちが延世大で大量に連行されている。予想通り裁判所は韓総連関連者らを厳罰に処した。10月28日の110人に対する宣告公判で、これらの内 半分に近い51人に対し実刑が宣告され執行猶予で解放された人は59人にとどまった。<ハンギョレ>資料写真
韓総連事件と安全企画部

1996年8月延世大学校で開かれた第6次8・15統一大祝典行事を巡り広がった韓総連事態は種々の新記録をたてた。この事件は5共和国最大の公安事件である建国大事件の連行者数 1200人余りの5倍に近い5800人余りの連行者を出し鎮圧された。汎青学連の8・15行事は6年間続いてきた例年行事だったが、唯一1996年の行事で警察は公式行事が終わった後にも封鎖網を解かなかった。警察が学生たちの解散を容認せず追い詰めた。これに事前令状が発給されていた韓総連主要幹部らを含む参加学生数千名は総合館,科学館などの建物に入り予定外の籠城に入った。

ちょうど10年前の建国大事態と似た様相だった。言論は10年前より一層強く‘公安政局’,‘公安検察’に続き‘公安言論’という話が出るほどおぞましい言葉を浴びせまくった。<朝鮮日報>は学生たちを‘無法の徒’と規定し、彼らは‘大韓民国の学生’ではなく、鉄パイプと火炎瓶で武装した‘北の直系部隊’であり‘朝鮮労働党在南行動隊員’と規定した。保守言論の声援に力づけられ警察庁長官パク・イルリョンは必要な場合は示威隊に銃器を使うという方針を公式に明らかにすることさえした。銃器まで使うということにも<朝鮮日報>主筆のキム・デジュンなどは政府と与党がひどく‘安易’に対処しているとして‘税金を返さねばならないか’とし超強硬対応を煽った。

国家情報院過去史委員会は1986年の建国大事件でも、その10年後の韓総連事件で当局がどんな事前計画を持って学生たちの帰宅を許可せずに超大型事件へ追い込んだのか、その過程で安全企画部はどんな立場を取ったのかに対する資料を見つけることはできなかった。ただし1996年の韓総連事態以後に連行された学生たちの司法処理を巡り安全企画部が司法府に対し有形無形の圧力を加えたいくつかの建議報告書だけは見つけることができた。

厳罰のために

安全企画部は当時、韓総連事態で連行された学生たちの拘束令状が裁判所により棄却されたり、拘束起訴された学生たちが執行猶予を宣告されることに対して敏感な反応を示した。安全企画部が見るには、最近の公安事件に対する裁判所の判決はきわめて憂慮すべきことだった。<法曹界一部判事 理念教育 必要性 指摘>という1996年8月(日時未詳)の安全企画部報告書は「去る7.12ソウル地方裁判所ユ・ウォンソク判事が国家保安法違反疑惑で拘束された当時、全国連合事務次長パク・チュンヨルを無罪釈放するなど、公安犯人に対する寛容判決が頻発」しており「はなはだしきは現職判事が国家保安法の問題点を指摘し憲法裁判所に違憲審判を提請するかと思えば、最近の延世大事態関連者に対する令状棄却事例まで発生している実情」と嘆いた。安全企画部はその事例として「ソウル地方裁判所パク・シファン判事は去る3.5国家保安法19条(拘束期間延長)に対し違憲提請,パク・ポムゲ判事は8・15韓総連ソン・ピョンギル令状棄却」したことを挙げた。こういう状況に対し安全企画部は“法曹界一角”という名を借り「最近公安事件発生などを契機に判事らに対する理念教育必要性」が提起されていると主張した。
ユ・ウォンソク判事の‘寛容判決’とは安全企画部と検察がパク・チュンニョルのスパイ疑惑を立証できず拘束理由であったスパイ疑惑が控訴状から抜け落ちることになり、別件の在野団体活動と関連した利敵表現物製作疑惑に対し無罪が宣告されたことをいう。この判決は安全企画部の捜査権乱用にブレーキをかけた歴史的判決だった。安全企画部はパク・シファン判事が国家保安法の拘束期間延長に対する特例条項を違憲だと提請したことも、とても不快に思った。ところで安全企画部にとって、8・15祝典に参加しようと地方から上がってきて延世大に入ろうとしたが警察と衝突し連行されたソン・ピョンギルの拘束令状を、籠城学生たちの鎮圧と大規模司法処理を控えた状況で、パクポムゲ判事が棄却したことは極めて不吉なことに違いなかった。安全企画部の報告書には言及されなかったが、警察はソン・ピョンギルに対する令状を再び請求したがソウル地方裁判所民事40単独ソン・チャジュン判事は17日「ソン・ピョンギル氏が捕まる時、鉄パイプを持っていた点は認められるが示威に積極的に加担したという捜査機関の疎明が依然として不足している」という理由で再度棄却した。

安全企画部だけでなく政府・与党は、裁判所により令状が棄却されたことに激昂した。<ハンギョレ新聞>は与党の新韓国党が8月17日「疎明資料不足を理由としたソウル地方裁判所の示威学生拘束令状棄却に対し‘裁判所も視野と見解を国家安全次元に合わせなければならない’とし、司法府の独立性に対する干渉という論難まで呼び起こしうる注文までしたことは、与党の硬直度がどの程度なのかを推察させる内容」としつつ「1980年代公安政局を連想させる与党のこういう強硬気流は大統領府を中心に形成されていると伝えられた」と報道した。こういう雰囲気の中で、ソン・ピョンギルに対する拘束令状を棄却したパク・ポムゲ判事は数週間“子息は良く育っているか”という式の‘安否電話’に苦しめられなければならなかった。パク判事の身辺保護のために出動した警察は周辺の人々にパク判事の思想を問い質してまわった。

大量連行,大量司法処理

公安当局は延世大事態と関連して、8月20日鎮圧作戦当日3499人など計5848人を連行し、この内462人を拘束し3341人を不拘束立件、373人を即決審理に回付、1672人を訓戒した。拘束者462人は鎮圧以前に拘束された者が93人,鎮圧当時連行された3499人中拘束者が369人だった。鎮圧作戦前日の8月19日、国務総理イ・スソンは単純加担者に対しては最大限寛大に処分する方針という談話を発表したが、保守言論は‘今回の事態に単純加担者はいない’と釘を刺した。

“最近延世大事態関連者に対する令状棄却事例まで発生している実情”と憂慮した安全企画部が、あらかじめ手を使ったためか大量拘束令状は大部分通過した。ソウル地検公安検事たちはデモ写真300枚余りを持って令状発給を担当する当直判事を訪ねて行き捜査結果を説明した。こういう努力のせいで連行直後に検察が請求した371人の拘束令状中ただ2件だけが棄却され、令状棄却率は0.539%に終わった。韓総連事件全体を見れば拘束令状が請求された人470人中464人が発給され棄却率は1.28%に過ぎなかった。これは1996年上半期の全国裁判所の令状棄却率7.5%やソウル地方裁判所管内棄却率10.4%に比較すればきわめて異例的に低い数値だった。

まだ韓総連学生たちが延世大で籠城している時“ソウル地方裁判所高位関係者”はこれと関連して“請求さえすれば裁判所が当然に令状を発行するだろうという捜査機関の期待は誤ったもの”として“疎明資料が不足していたり、検・警察が粗雑に捜査し令状を上げれば棄却するのはあまりにも当然だ”と話した。籠城鎮圧以前でも拘束令状が請求された40人中2人の令状が棄却され、棄却率は5%に達した。しかし学生たちが大挙連行され大統領府の超強硬方針が明言されると状況が変わった。警察が銃器使用を公然と話し広報処が発行する国政新聞に、公権力に挑戦すれば死刑で鎮圧するという内容の記事が載る梗塞した雰囲気の中で裁判所も態度を変え、検察の請求どおりに令状を発行してあげたのだ。

異常な配当,大量実刑

裁判所は韓総連事件の配当を通じて政権と公安当局に協力した。ソウル地方裁判所は9月10日「韓総連 暴力デモ事態と関連して、まもなく起訴される示威関連学生たちを全て刑事合議部に割り振り審理することに決定」した。言論が指摘したように「裁判所が刑事単独部に配当される事件を刑事合議部に移したことは異例的」なことだった。3年以上の有期懲役刑に規定された一部国家保安法違反や特殊公務執行妨害事件などを除く一般時局事件の場合、大部分を刑事単独部に割り振ることが“一般的慣例”だった。慣例どおりならば、ソウル地方裁判所管轄240件余りの内、「200件余りは刑事単独に配当されるべき」だったが「ソウル地方裁判所は事態関連者240人の裁判を刑事合議3部に各80件余りずつ割り振ることにした」のだ。こういう決定は「各裁判所の量刑を同等に合わせようとする裁判所高位層の意図に従ったもの」と知らされたが、「11人にもなる単独判事よりは3ヶの合議部が意見調整をするのにはるかに易しいため」だった。‘量刑の均衡’を企図するために事件を特配したという言論の報道に対し、ソウル地方裁判所関係者は強力に否認したが、1996年度国政監査でソウル地方裁判所院長チョン・ジヒョンは量刑の均衡を維持することが事件を合議部に割り振った主な理由と認めた。しかし特配のさらに根本的な理由は「裁判所首脳部が一部刑事単独判事らの平素の傾向を憂慮した決定」であっただろう。裁判所周辺では「特に数人の単独判事らが証拠不足などを理由に執行猶予や無罪判決を下し、残りの判事らが有罪判決を出す場合に形が良くないという点が考慮されたのだろうという分析」が出回ったという。

予想通り裁判所は、韓総連関連者らを厳罰に処した。10月28日の110人に対する宣告公判でこれらの内の半分近い51人に対して実刑が宣告され、執行猶予で解放された人は59人にとどまった。大部分の言論は韓総連事態関連学生たちに“大量実刑”が下され、これは司法府が“不法暴力デモを厳断”しようとする意志を反映したものと評価した。特に<東亜日報>はこの判決について「この間学生運動に対しては寛大な処罰をしてきた慣行を破ったもの」と評価し、<韓国日報>は被告人の「46%にあたる51人に実刑」が宣告されたことは「86年建国大事態で拘束起訴された被告人400人余り中90人(23%)に実刑が宣告された点に照らしてみる時、非常に高い実刑宣告率」であり「執行猶予が宣告された59人は未成年者であるとかスローガンを叫んだだけの単純加担者」だったと報道した。しかし安全企画部はまだ物足りなかった。

ハン・ホング聖公会大教授・韓国史

原文: https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/214/405833.html 訳J.S