原文入力:2010-02-07午後06:24:03(4661字)
‘チョ・ヨンレ 涙の弁論’ついに知らぬふり… "司法府の没落を見た"
検察総長, チャン・セドンに会った後、結果 覆す
キム・ギョンフェ検事長 "恥辱的事件" 回顧
裁定申請には "理由なし" 棄却した裁判所
安全企画部の圧力受けクォンさんには実刑宣告
←1988年5月17日富川署性拷問事件で起訴されたムン・クィドン氏の初公判で法廷に入ることが出来ない傍聴申請者たちが法廷外で公判を見守っている。<ハンギョレ>資料写真
キム・ギョンフェ検事長の告白
仁川地検長として富川署性拷問事件の捜査責任者であったキム・ギョンフェは回顧録<私もう自由人になり>で、この事件の結論がどのようにあえなく覆されることになったのかについて詳しく明らかにした。末期癌を宣告され死を控えた状態で書かれた彼の回顧録は、稀にみるほど率直に自身の検事生活中 "最も恥辱に満ちた恥ずべき事件" について告白している。
富川署事件は "政権の存立と直結する事件" だった。仁川地検は事実を明らかにしようと努力したが "警察はもちろんすべての公安機関" が仁川地検の捜査を "やぶにらみして" いた。ムン・クィドンを拘束しようとしていたキム・ギョンフェ検事長は "孤立無援" の境遇に陥った。仁川地検特捜部長キム・スジャンは当時政界の実力者の一人であったパク・チョルオン安全企画部長特別補佐官の司法試験同期であった。パク・チョルオンは大統領府と安全企画部で主に勤めたが実家はやはり検察だった。
キム・ギョンフェと相談したキム・スジャンは7月9日パク・チョルオンに助けを要請し、パク・チョルオンは自身が後押しするので心おきなく捜査しろとキム・スジャンを励ました。パク・チョルオンは翌日キム・ギョンフェにも電話をかけ、検察総長に原則通り事件が処理されなければならないと話したと言った。
キム・ギョンフェによればパク・チョルオンの電話を受けるやいなや、法務部検察局長キム・ドヒが電話をかけてきた。法務長官キム・ソンギが朝の幹部会議で「私の職を賭けて命令するから原則通り暴きなさい」と豪語したということだ。キム・ギョンフェは「昨日までの態度とはまるで異なるこの現象が、政府権力のぜい弱性のためなのか、そうでなければ定見のない検察権の彷徨なのだろうか」という感じがして、失笑を禁じ得なかったと語った。
キム・ギョンフェはキム・スジャンにパク・チョルオンに助けを乞うた事実は「"私たち2人だけの秘密にしよう」と念を押し、「捜査に対する情熱をもう一度燃やした」と回顧した。
性拷問の‘性’の字も出てきてはいけない
実力者パク・チョルオンの支援ではずみをつけた仁川地検の捜査は一日で覆った。捜査発表前日の7月15日午前、キム・ギョンフェは検察総長ソ・ドングォンに呼ばれた。安全企画部長チャン・セドンが主導した関係機関対策会議を終えてきたソ・ドングォンは 「安全企画部では発表文と大統領に対する報告文書などに性拷問の‘性’の字も出てきてはいけないと言った」ということだ。キム・ギョンフェはあきれて我知らず声を出して笑ったと言う。
ムン・クィドンを拘束しなければならないと言っていた仁川地検の捜査結論が覆ったことに対して当時安全企画部長だったチャン・セドンは、このシナリオは「前職大統領の決定でしょう」と後日述べた経緯がある。第5共和国不正聴聞会などで全斗煥を全身で保護したチャン・セドンがそのように話したとすれば、それは全斗煥の決定であったに相違ない。実力者パク・チョルオンは、第5共和国時期には警察の影響力が相当だったとし、その理由を全斗煥の兄チョン・ギファンが警察出身であることに求めた。5共和国版‘お兄さん政治’であったということだ。
捜査結果発表があった7月16日朝、捜査に参加したある検事が幹部会議が開かれている検事長室に入ってきて、大声慟哭したという。キム・ギョンフェも会議を終えて「一人 部屋に閉じこもりひそかに泣いた」と書いた。キム・ギョンフェがした最大の抵抗は、検事長が直接捜査結果を発表しろとの最高検察庁指示を拒否したことだ。
そのため午後4時に予定されていた捜査結果発表は6時30分に延ばされ、発表は特捜部長キム・スジャンが代ることになった。報道機関には検事長が直接行うと言っていたのでTV画面にはキム・スジャンの顔の下にキム・ギョンフェという字幕が付いていたという。キム・ギョンフェはキム・スジャンに「生涯できないことを私がさせた格好」になりすまないと思った。
翌日検察総長は電話をかけ、仁川とソウルの一部検事たちが昨日の発表に対し異見と不満を出す声が公安機関に感知されるからと、部下らに口封じをさせろと指示したという。キム・ギョンフェは「今この状況で検事長が口封じできる状態か? 排水口に首を埋めて死ぬこともできずに生きている境遇ではないか? いくら保安を注文しても手の平で空を隠すようなもので、恥ずかしくて顔を上げていられなかった」と回顧した。
ムン・クィドンの起訴猶予処分に達するまでの期間に対し、キム・ギョンフェは「事実とかけ離れたでたらめ発表をしておいて、それでも一抹の良心はあったからなのか最終不起訴決定論に対しあっちこっち小細工」を施す検察組織を見て「巨大な精神病棟に住んでいるような感じ」だと書いた。ムン・クィドンに対して起訴猶予処分を下し、長官が幹部たちに配れと言って激励金200万ウォンを送ってきたという。
裁定申請も棄却
検察がムン・クィドンを起訴猶予処分するや、チョ・ヨンレなど弁護人らは9月1日これに従わず裁定申請を提出した。裁定申請には何と166人の弁護士が訴訟代理人として参加した。しかしソウル高裁刑事3部(裁判長 イ・チョルファン)は10月31日「クォン・インスクの一方的な陳述だけではこの事実を認めるのが難しい」として裁定申請を棄却した。裁判所は「被疑者ムン・クィドンは職務に執着するあまり無理な捜査をし偶発的に犯した犯行であり、すでに罷免され、沸騰した世論により精神的苦痛を受けているため」に起訴猶予処分が正当と見た。司法府も積極的に性拷問隠蔽に加担したのだ。
このあきれた決定に対し、チョ・ヨンレ弁護士はこのように嘆いた。少し長いが必ず噛みしめなければならない話だ。
“私たちは今日、我が国の司法府の没落を見ています。どれほど手痛くともこの話しを聞いて下さい。司法府はその使命を自ら放棄したのです。一杯のおかゆを得る代価で長男の相続権を売り払った如く、司法府は単につまらない安逸を得るために国民から委託を受けた重大な司法権の尊厳を自ら裏切ったのです。私たちはこの事態に対し司法府に身を置いている裁判官の一人一人だけを非難するつもりは毛頭ありません。 (…)しかし、少なくとも司法府としてはこの事態の責任を他の誰にも転嫁しようとしてはいけないということを強調しておこうと思います。勇気の無い司法府,自らの使命を自ら裏切った司法府は国民の信頼と支持を期待する資格はありません。私たちは悲痛な心情で話すけれど、この裁定申請棄却決定により、もうこれ以上司法府の独立性を信じる人は殆どいなくなったといっても過言ではないでしょう。司法府の存立根拠自体に対し疑問を提起しないわけにはいかなくさせたこの事態の危険性に対し、司法府に身を置くすべての裁判官が深く洞察し司法権の尊厳を自ら守るための乾坤一擲の苦闘を始めなければならない、これ以上遅らせることはできない歴史的瞬間が到来したと私たちは信じます。”
安全企画部, 私たちの娘 クォンさんに実刑を与える
チョン・ドゥファン政権はどうにかしてでもクォン・インスクを縛っておかなければならなかった。ことによるとすでに結論が出ている裁判で、弁護人 特にチョ・ヨンレ弁護士は渾身の力を発揮した。
彼が執筆した弁論要旨からは虐殺と拷問が行われた不幸な時代が産んだ、またとは読むのが難しい名文だった。弁論要旨からは“弁護人らは先ずこの法廷の被告人席に立っている人が誰かについて話そうと思います。クォンさん…. 私たちがその名前を呼ぶことを慎まなくてはいけなくなったこの人は誰なのか? 国民皆がその名前はしらず、まだその姓だけで知っている名前のない有名人、顔のない偶像になってしまったこの娘は誰か”と始めた。“涙なしでは思い出すことのできない‘クォンさんの闘争’”を実際にチョ・ヨンレは涙を流しながら弁護し、弁論が終わった後にもしばらく泣きやめなかったという。
12月4日の宣告公判で裁判所(仁川地方裁判所 刑事2部:裁判長 ユン・キュハン)は“たとえ目的が勤労者の権益保護のための心情で偽装就職したと言っても、他人の住民登録証を盗み写真を貼り替えてその他の人的事項を盗用し履歴書を作成した行為は、その方法において行き過ぎている”とし、実刑1年6月を宣告した。ムン・クィドンは起訴猶予処分を受け解放されたが、クォン・インスクは公文書偽造疑惑で実刑に服することになったのだ。
<チョ・ヨンレ評伝>によれば“当時裁判を引き受けた仁川地裁合議部が当初、執行猶予処分を下すことによりクォン・インスクを直ちに釈放することで合意を見たが、宣告直前に実刑1年6月に調整した”と言う。
これは“裁判長と主審判事が残りの陪席判事と相談なしに決めた刑量”であり、“裁判所のある人は宣告をおろす直前に政府の圧力があったと後日、私席で告白した”ということだ。国家情報院過去史委員会が確認した内容によれば、当時安全企画部仁川分室対共課長が裁判所にクォン・インスクが実刑の言い渡しを受けるように強力に調整したことを立証する報告書が国家情報院に残っている。
人間に対する礼儀
人は本当にさまざまだ。ムン・クィドンのような者がいるかと思えば、ムン・クィドンを使って出世しようとした者がいて、ムン・クィドンの罪悪を覆い隠してこそ政権が保てると考えた者がいて、ムン・クィドンを捕まえておくことがむしろ体制維持に役立つと考えた者もいる。検察と司法府が性拷問隠蔽の共犯になる時、喜んで協力した者もいれば恥じた者もいて、くやしくて涙を流した者もいるだろう。そしてクォン・インスクの苦痛に痛みを感じて涙を流した者もいる。
2005年カン・ジョング教授事件当時、チョン・ジョンベ法務長官の捜査指揮権発動に反発し検察総長が辞表を出した事件でも、この頃 自分たちの権威が侵害されたと目をむいてすごむ検察を見ていると、検察には憤怒だけが残っているようだ。恥というものは教えて分かるようになるものではない。
恥じることができたキム・ギョンフェ検事のような方が、だから引き立って見える。故人は本当に検察の性拷問隠蔽を恥じたし、これは韓国検察の風土で本当に大切な自己反省だった。ただし、その方の回顧録に検察の恥辱に対する反省はあったが、被害者に対する申し訳ない思いは見られなかった。それが残念だ。
ハン・ホング聖公会大教授・韓国史