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北送事業の実状と背景

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/393118.html

原文入力:2009-12-13午後07:49:12
万景峰号に乗り10万同胞‘帰国の途’
北 宣伝道具 - 日 追放政策の産物

キム・トヒョン記者

在日同胞の北送事業は南北の体制競争と日本政府の黙認とが産んだ悲劇というのが専門家たちの一致した見解だ。

韓半島問題専門家の高柳俊男法政大教授は9日東京,立教大学で開かれたシンポジウムで「北韓の意図は6.25以後の体制優越性を宣伝するためのものだった」として「当時日本政府の‘厄介者追い出し’の側面もある」と指摘した。

兄3人を北に送ったドキュメンタリー作家ヤン・ヨンヒ氏はシンポジウムで「南と北がバレーボール対決を行ったとすれば、日本で在日同胞社会は2つに分かれてラグビー対決を行ったこと」として「東京と大阪など大都市ではキムチ店までも各々南北に分かれるほどだった」と話した。

差別と貧困に苦しむ在日同胞社会にとって北韓は一種の脱出口だった。総連は最下層の在日同胞を優先的に捜し出し当時は韓国より経済成長がはやかった‘社会主義祖国’へ民族大移動を積極的に薦めた。1958年10月当時、在日同胞の生活保護対象者は8万1千人であり全体同胞の13.3%を占めていた。日本社会も人道主義事業という名目で北送事業を支援した。

自民党はもちろん社会党,共産党議員らも支援会を結成した。<朝日新聞>1960年2月26日付は「帰国希望者が増えたことは何といっても‘完全就職,生活保障’と伝えられた北韓の魅力のためのようだ」と大々的な特集記事を載せるなど大多数の日本言論は歓迎一色だった。日本赤十字社が1959年8月に北韓赤十字社と結んだ帰国事業協定で帰国者と家族らの自由な往来を要求しなかった点に日本政府の意図を垣間見ることができる。

日本政府は2006年の北韓ミサイル発射と1次核実験以後、北韓-日本連絡船である万景峰号の日本国内入港を禁止する制裁措置を取ることにより、離散家族らの苦痛はより一層深刻化されている。北韓に渡っていった家族に会うためには北京を経由し飛行機に乗って入らなければならないため、費用増加と搬入物品制限で精神的負担も大きくなっている。

しかし総連機関紙の<朝鮮新報>は最近、北韓で‘定着に成功した人’の連続インタビューを掲載し北送事業の正当性と成果だけを宣伝するだけで、その問題点については口を閉ざしている。

東京/キム・トヒョン特派員

原文: 訳J.S