京畿道利川市(イチョンシ)長湖院邑(チャンホウォンウプ)ソルチャン路786。平野の真ん中に「とても小さな修道会」イエス・キリスト修道女会がある。中世ヨーロッパの城を模した修道院と違って、どこかの農家といってもおかしくないほど素朴な修道院だ。
食堂で昼食中だったシスター10人は、男子禁制の土地にやって来た男性のせいか、緊張したようにいきなり沈黙モードだ。しかし、生まれつきの気質を隠すことはできないとでもいうように、十数分で沈黙は破られた。修道院には数年ぶりにエクアドル本院から3人の修道女が来ている。イエス・キリスト修道女会は韓国人によって南米エクアドルに設立され、本院がエクアドルにある独特な修道院だ。ここで過ごす韓国の修道女7人はこの数日間、エクアドル人のシスター・パトリシアにスペイン語で「ベサメ・ムーチョ」という歌を楽しく教えてもらった。ところが、その意味を聞いてみると、「私にキスしてください」だったそうだ。あるシスターが「どうして修道女が一晩中『私にキスしてほしい』と哀願しながら歌えるの」と言うと、みな腹を抱えて笑った。烈士の地エクアドルで献身する宣教修道女たち。また、生活費さえ節約に節約を重ねてエクアドルの司牧を助ける韓国のシスターたちは、どうしてこんなにも愉快に笑うことができるのだろうか。
35年前、単身不慣れな土地に
早婚の風習に10代の妊婦続出
放置された現実に診療所を設立
死者出さずに2582人出産
2000年以降、エイズまん延に
ともに揉まれながら看護人を自任
最近は不法移民の孤児が急増
保護施設建てる資金なく気を揉み
ニワトリを飼いパン工場を建て自立支援
伐採で傷んだマングローブ再生運動も
足下の火を消すのに汲々とする日々
しかし、この修道女会の総院長キム・オク・ベロニカさん(66)が35年前の1984年にエクアドルに初めて行った時は、いくら愉快なシスターも決して笑えなかった。全羅南道で中高の生物教師をしていたが、志を立て、ソウルの蘭谷洞(ナンゴクトン)のような貧民地域でも司牧をしたものの、韓国とは比べものにならないエクアドルの実情に自然とため息が漏れた。
エクアドル第二の都市グアヤキルから修道会診療所があるパルマルに初めて行った際に通った未舗装道路は、動物たちの分泌物で覆われていて、車が1台通るたびにゴミやほこりが霧のように立ちのぼり視界を遮った。パルマルに着いてみると、飲み水さえまったく不足していた。地元の人たちは水筒を司祭館に持ってきて、「水を貸してほしい」という。水槽を開けて水を貸してやると、雨水を貯めて返してくれた。特に1年前に南米を襲ったエルニーニョ以降、水因性の疾病が急増した。しかも子どもが子どもを産んでいた。早婚が一般的で、10代の妊婦が少なくなかった。ところが助産院すらひとつもなく、その辺で子どもを産んでいる状態だった。これを見た彼女がまず始めたのが診療所だった。診療所と言ってもベッドひとつ置くのがやっとだった。それでも妊婦たちが押し寄せた。自分では子どもを生んだことのない修道女たちの助けにより、その診療所で実に2582人の命が誕生した。その劣悪な環境で死者一人なく子どもたち全員を取りあげたということが奇跡だった。
しかし、子どもを産むのがすべてではなかった。それぞれ父親の違う子どもを産み、きちんと食べさせたり面倒を見たりできない家庭が列をなしていた。ある妊婦は14人目の子どもを産んだが、すでに12人目の子どもは寄生虫が多すぎて死に、13人目の子どもは熱病で死んでいた。14人目の子どもも生き延びる可能性は薄く見えた。そこで、「子どものいない家庭事情のいい隣家にこの子を行かせたらどうか」と提案し、その子を養子に出させた。その子は素敵な青年に育った。
パルマルは2000年に入ってエイズが猛威を振るった。海辺の性的な自由がこれを煽った。シスター・ベロニカはエイズ患者の看護教育を受け、急増する患者の看護人を自任した。診療所に来た妊婦の中にもエイズ患者がいた。そのため、地元住民の間ではこの診療所が「シドソ(エイズ病院)」だといううわさが広まった。すると、ベロニカさんは「エイズ患者と一緒にいるからといって、エイズに感染するわけではない」として、エイズ患者らと常に同じ車に乗り、エイズ患者を見るとわざと顔をすりつけたりした。こうして彼女はエイズ患者たちの「マザー」になった。シスター・ベロニカはエクアドルでの35年を「足下の火を消すのに汲々とした日々だった」と告白した。
しかし、そのような日々の中でも、その日暮らしのように生きていく青少年たちの未来を心配せずにはいられなかった。そこで、何か未来を夢見たくても寄る辺のない青少年のための団体を結成して、ウズラとニワトリを飼い、パン工場を開いた。また、地球に酸素を供給する海の植物で、パルマルに自生するマングローブが無分別に伐採され、200ヘクタールあった森が38ヘクタールに激減して種の絶滅が危惧される状態に直面すると、「マングローブが消えれば、食物連鎖が破壊されて海そのものが駄目になる」として、青年らとともにマングローブ再生運動を繰り広げた。このような過程で、この診療所で生まれ、彼女とともに仕事や運動をしてきた子どもたちが地域の政界に進出し、最近は副市長も出した。彼らは言う。「本当のパルマル市長はシスター・ベロニカ」だと。
しかし、峠を越すと、また別の峠が立ちはだかった。エクアドルの経済が崩壊し、幼い子どもを親戚に預けて国境を越える不法移民が急増したのだ。親からの送金がなされず、子どもたちが一人二人と捨てられ、孤児ならぬ孤児たちが大勢生じた。そこでベロニカさんは昨年、アソゲスに家を借りて孤児の面倒を見はじめた。そこに子どもたちが押し寄せると、韓国で20年間孤児の世話をして生きてきた姪のパク・ソンジュ・ヒルデカルデさん(63)に助けを求めた。シスター・ヒルデカルデが子どもの世話を始めると、1年で子どもたちが3人から25人に増えた。3部屋しかない狭い家で1部屋に聖体を迎え、男の子に1部屋、女の子に1部屋を与えたら、修道女たちの居場所すらない。そこさえも賃貸期限満了を控えている。3億ウォン(約2730万円)あれば孤児院が建てられるが、一銭すら惜しい「ミニ修道女会」では手の届かない金額だ。
シスター・ベロニカはこれまで、飛行機代が惜しくて恋しい故国にほどんど帰ってこなかった。「往復航空運賃で何人かの子どもを世話できるのに」という思いが先に立ったためだった。ところが9日、大韓民国海外奉仕賞首相賞を受賞したことで、韓国政府に往復航空運賃を出してもらえることになり、ようやくその身を飛行機に委ねた。故国は来るたびに別世界のように発展している。しかし、シスターは地球の反対側にある本当の「別世界」で暮らす子どもたちのもとへと出国を急ぐ。今日も「ベサメ・ムーチョ」を歌いながら必死にマザー・シスターを探す子どもたちが目に焼き付いているからだ。