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韓国式家屋愛して20年 英国人‘頭を下げた失明’

原文入力:2009-10-30午後11:15:36
北村の守り手 デービッド キルボン・チェ・クモク夫妻が切ないわけ

パク・スジン記者,シン・ソヨン記者

←‘北村韓屋村の守り手’デービッド キルボンの夫人,チェ・クモク氏が29日午後ソウル,鍾路区,嘉会洞の韓国式家屋縁側に立ち20年間韓国式家屋を育て保存してきたいきさつを聞かせている。 シン・ソヨン記者viator@hani.co.kr

ソウル市,鍾路区,嘉会洞31-79番地. ‘北村韓屋マウル(村)’として有名なこちらの中央部に英国人デービッド キルボン(66)と韓国人チェ・クモク(54)氏夫妻が20年を超えて暮らしたこぢんまりした韓国式住宅がある。

キルボンは20余年前の1988年、韓国に来たがこの家を見て一目惚れした。夫人チェ氏は30日<ハンギョレ>記者と会い「この家をチョコレートでも買うようにあっという間に買った」として「デービッドは朝鮮600年の歴史が残っていて韓国近代史の逆境の中でも生き残った北村の精神と韓国式家屋それ自体を強烈に愛した」と話した。デービッドはその後‘韓国式家屋広報マン’を自認し実践した。日本の雑誌に韓国式家屋を広報する文を書いたり、個人ホームページに英語で韓国式家屋の美を広報する文を書いた。家に外国人のお客さんを招き韓国式家屋の美しさを体験させるようにした。フリーランサー記者であり、マーケティング コンサルタントとして韓国・日本を行き来しながら彼の生活にはいつも‘韓国式家屋と韓国伝統文化’が中心にあった。

韓国式家屋保存活動した夫
業者と戦い倒れ
1年後に夫人まで癌の診断

しかし2002年、ソウル市の‘北村育成基本計画’が本格化してキルボン夫婦の人生は根こそぎ変わった。開発業者が家を買い入れ始め、住居価格が何倍も騰がり、業者らは韓国式家屋を‘にせ物’に改造し始めた。商業用途に使えるよう1階はコンクリート建物にして2階だけを韓屋瓦をのせた家々が生じた。地下を売るかと思えば、瓦の下には土の代わりにコンクリートを注いだために今の北村マウル韓国式家屋の屋根は呼吸ができない。‘居住者’がいなくなった今の北村は‘幽霊の村’だ。夕べにはご飯を炊くにおいをかぐことができない。

キルボンはこのように北村が壊れていく姿に我慢がならなかった。ソウル市と鍾路区関係者に会い「韓国式家屋に対するきちんとした基準を立て、韓国式家屋原形を保存するために増・改築規制を作らなければならない」と主張した。2005年には‘不法的に’建築許可を出したソウル市長を相手に‘建築許可取り消し行政訴訟’を提起しもしたが敗訴した。市は国土海洋部に関連法新設を建議しただけだ。今でも伝統韓屋保存のための法条項はない。

キルボンは口癖のように「英国の100~200年を経た伝統家屋は政府が正規的に訪問調査して、撤去・変更・拡張を望む時は法に従わなければ厳格に処罰される」とし「韓国ではそのような保存関連規制がなく美しい韓屋が皆消えている」と話したと伝えられた。
淋しく韓国式家屋を守ろうと戦ったキルボン夫婦に不幸が押し寄せてきた。2006年2月、キルボンの前の家にフォークレーンが押し寄せてきた。キルボンがその無慈悲な姿を写真に撮ろうとしたが、開発業者に押され倒れた。心臓まひの診断を受け、10ヶ月後に彼は視力を完全に失った。

キルボンが視力を失って2年が過ぎた昨年10月、夫人チェ氏まで子宮頸部癌診断を受けた。チェ氏は「いかにも強情そうに見えるかもしれないけれど、韓国の伝統遺産が消えゆく姿を惜しんでこれを食い止めようとしただけなのに私たちには病ばかりが残った」として「伝統文化に対する意識も人権に対する尊重もない国なのではないか」と話した。

キルボン夫婦の事情が一部インターネットユーザーに知らされ、最近彼の個人ホームページ‘嘉会洞ドットコム’(www.kahoidong.com)は訪問者が一日200人を越えた。現在療養のため日本に滞在しているキルボンはこの知らせを聞き目じりを濡らしたと言う。これ以上愛する韓国式家屋を見ることができないキルボンは「誰も関心を持たなかった韓国式家屋に今では人々が関心を持ってくれてうれしい」と話したとチェ氏は伝えた。

パク・スジン記者jin21@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/385049.html 訳J.S