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[インタビュー]「現代自動車グループ会長が北朝鮮に工場建設を計画した理由とは」

登録:2017-10-27 03:16 修正:2017-10-29 07:43
対北朝鮮交流秘話を書いた本出版したチョン・ジンテ元現代車中国総経理 
「現代自動車、経営権継承のため北朝鮮との合弁事業を推進」
チョン・ジンテ元現代自動車グループ中国持株会社総経理が今月12日、ソウル瑞草区のあるカフェで著書『禁止された告白』で明かした現代自動車と北朝鮮の自動車合弁事業を巡る協議について話している=イ・ジョンウ先任記者//ハンギョレ新聞社

 1998年6月、故チョン・ジュヨン現代グループ名誉会長が牛500匹を率いて板門店を経て北朝鮮に向かった。以降、南北関係には2000年6・15南北首脳会談が開かれるなど、薫風が吹いた。当時の現代と北朝鮮の間の秘密が、チョン・ジンテ元現代自動車グループ中国持株会社総経理(70)が今年9月に出版した『禁止された告白』で明かされた。今月12日、彼と会った。

 1999年、ビル・クリントン米大統領の弟である歌手のロジャー・クリントン氏の平壌公演実現の裏側には、チョン・モング現代自動車グループ会長(当時現代グループ会長)がいた。チョン会長は北朝鮮と自動車合弁事業も推進することにした。チョン・モング会長が対北朝鮮事業にこだわったのは、経営権継承のためだった。当時、チョン会長は対北朝鮮事業の主な窓口である現代峨山を指揮する故チョン・モンホン会長(当時グループ共同会長)に、グループはもちろん自動車事業まで奪われるかもしれないと戦々恐々ととしていた。チョン・モンホン会長は1998年6月、北朝鮮と金剛山(クムガンサン)総合開発事業などが盛り込まれた合意書にチョン・ジュヨン名誉会長に代わって署名し、1999年2月には現代峨山の代表会長に就任した。チョン・ジンテ元総経理は「チョン・ジュヨン会長が特別に力を入れている経済協力事業の主導権を握る方がグループの後継者になれるという雰囲気だった」と振り返った。

 窮地に追い込まれたチョン・モング会長のために、チョン・ジンテ元総経理は北朝鮮側との間でもう一つのラインを作った。中国北京で北朝鮮の朝鮮アジア太平洋委員会の幹部らに会って親交を築き、チョン・モング会長が秘密裏に単独の経済協力を推進することを助けた。北朝鮮で開かれたロジャー・クリントン氏の公演費用を払い、契約を斡旋した当事者でもある。

 彼は1999年に北京のある和食レストランで初めて会い、2年間にわたり交流した朝鮮アジア太平洋委員会の幹部らについて、「ビジネスで会ったが、兄弟の友誼を感じた」とし、「いつか、誰か(北朝鮮の)代表先生に会ったら、約束を守れなくて申し訳ないと伝えてほしい」と語った。

 「守れなかった約束」とは、当時協議していた現代自動車と北朝鮮間の自動車の合弁事業だ。チョン元総経理は「チョン・モング会長の指示で2005年まで30万台規模の自動車生産設備工場を建てる内容の事業意向書を持って、北朝鮮側と協議を進めた」と話した。経済協力事業が自動車の領域に及ぶことを不安に思ったチョン・モング会長は、「自動車は私が主導する」という内容の手紙を朝鮮アジア太平洋委員会側に送った。

 しかし、チョン・ジュヨン名誉会長が2001年に死去してから情況は一変した。チョン・モング会長は、金正日(キム・ジョンイル)総書記の弔問使節団に対する答礼団を派遣する計画を立てた。チョン元総経理は「アジア太平洋委員会で私を含めた3人に招待状も発給した」と、自分の本を広げて見せた。しかし、現代自動車は突然答礼団の派遣と合弁事業すべてを白紙化した。むしろ、ハンギョレが2001年4月7日「チョン・モング会長の訪朝推進」という特ダネ記事を掲載したことに対し、「株価が急落した」として損害賠償を請求するという激しい反応も示した。チョン・ジンテ元総経理は「チョン・モング会長がソウル本社の誰かから何か誤った報告を受けたようだ」とし、「真実が知りたい」と話した。また、「チョン・ジュヨン名誉会長がそうだったように、民間で活発な交流が行われてこそ、南北関係が進展できる」と助言した。

チェ・ハヤン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/815912.html 韓国語原文入力:2017-10-25 16:51
訳H.J(1838字)

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