1. セウォル号事件の徹底した究明のため真相調査委員会に捜査・起訴権を与えようとする遺族たちの要求に対し、法律にそれなりの心得がある与党セヌリ党の議員たちや法曹界の元老たちは、「司法体系を揺るがす発想」と訓戒する。ところが、そういった主張は常識とかけ離れた論理が多い。一般の人に不慣れな法律用語を駆使して事態を都合よく導こうとしているのでなければ、自らの無知を明らかにしているにすぎない(この点については後述する)。
まず、根本的な質問からしてみたい。司法体系の本質は真実を明らかにして正義を貫くことにあるが、真実と正義へと続く道をさらに広げるため、既存の司法体系に修正を加えてはならないのか? セウォル号事件を連想させる、この質問の答えとなる事例がある。
1993年4月、英国の首都ロンドンで18歳の黒人青年スティーブン・ローレンスが白人の不良たちに殺害された。人種差別による犯罪である疑いが強かった。しかし、警察の捜査は疑問だらけだった。容疑者らを特定する多くの情報が寄せられていたのに、2週間すぎても一人も逮捕しなかった。後に明らかになったことだが、捜査を担当した警察組織そのものが人種差別主義に染まっていた。
ある警察官は、容疑者の父親である麻薬商から賄賂を受け取っていた疑惑まで持ち上がった。はなはだしくは、情報課の刑事を動員して遺族を監視し、遺族たちの悪評を広げる工作までした。検察も証拠不足だとして誰一人起訴しなかった。遺族たちが動いて5人の容疑者を起訴したが(英国では被害者も起訴権を持つ)、警察の杜撰な捜査結果を覆すことはできず、全員に無罪判決が下された。
しかし、遺族たちは諦めず、各界の支援も相次いだ。結局、1998年に内務長官の指示で真相究明の調査が始まり、調査責任者の名前をとった「マクファーソン報告書」が出された。報告書は警察の捜査が相対的に杜撰かつ腐敗、そして人種差別に染まっていたと明らかにし、正義を実現するため「二重処罰禁止の原則(Double Jeopardy)」を廃止すべきと提案した。同じ嫌疑で再び裁判を受けてはならないとする、この原則が維持される限り、すでに無罪を宣告されたローレンス事件の容疑者たちを断罪するのは不可能だったからだ。だが、二重処罰禁止は千年も続く英国法(Common Law)の大原則だった。それを崩そうという大胆な提案に英国社会はどう反応したか?
英国議会は殺人、性犯罪、誘拐、麻薬などの重大犯罪に対する二重処罰禁止の原則を廃す法律を作った。2005年に施行されたこの法律は、名前からして「刑事正義法(Criminal Justice Act)」だ。韓国をはじめ世界各国で二重処罰禁止と似た「一事不再理」の原則を憲法で明示していることを考えると、憲法を変えるほどの司法上の大激変だった。
警察は再捜査に着手し2人の容疑者の服からローレンスの血痕などを発見した。2011年に彼らには終身刑の判決が下された。事件発生から18年ぶりに訪れた正義だった。しかし、たった一人の死と、まともに対処できなかった国家の恥部を正すため、改憲の決断までした英国社会の姿は、今の韓国社会に示唆するものが多い。
300人を超える無辜なる死と国家の相対的な無能がもたらした事故を経てなお、真相をすべて明らかにして安全な国を作ろうという遺族たちの特別法制定の要求が蔑にされている。セヌリ党と一部の保守陣営の口実は、せいぜい「司法体系を揺るがす」というものだ。それさえも誤った口実なのだ。
2. セウォル号真相調査委員会に捜査・起訴権を与えるのは、違憲問題でも司法体系を揺るがすものでもない。
検査の権限である捜査・起訴権を民間人に与えるのが問題だというが、こういった論理を展開する者たちは、すでに導入され定着した特別検査制度にはあえて目を瞑る。特別検察とは、まさに民間人に検査の権限を与えるものだ。特別検察法が違憲であるという人はいない。国会が特別検察法のような特別法を作り、真相調査委の委員1人(遺族たちの特別法案によれば、判事・検事・弁護士の職に10年以上在職した者)に検事の地位を与えるのに法的障害はなにもない。
これとは少し異なる角度で、行政部の権限である捜査・起訴権を立法部に渡してはならないとする主張もある。しかし、真相調査委は立法部に所属するのではなく、特別検察のように独立機構として運営される(厳密には起訴権は行政部がすべて独占する権限もない。現行の法体系は裁定申請制度を通して司法部である裁判所にも一定の起訴権を与えている)。
最近になり、被害者である遺族たちに捜査・起訴権を与えるのは現行法体系で禁じられる「自力救済」に当たるという論理を持ち出す者も現れた。これは自力救済(または私力救済)の意味すら分かっていない主張だ。この場合の自力救済とは、国家だけが行使できる刑罰権を個人が私的な物理力を使って直接実現する行為、例えば、犯罪者を懲らしめるため殴り倒したり拉致監禁するといった行為を意味する。遺族たちがそんなことをしようとしているわけがない。
自力救済の論理を持ち出す者たちは、おそらく「私人訴追(起訴)」のことを言いたいようだ。私人訴追は被害者や第三者が証拠を収集し加害者を直接起訴することをいう。国家だけが起訴権を持つ韓国では馴染みのない制度だ。一部の人たちの間では、復讐心による起訴を認める異常な制度と考えられてもいる。しかし、米国、英国などの英米法系の国では長く続けられてきたし、ドイツ、フランスなどの大陸法系の国でも部分的に採択されている制度だ(先述したスティーブン・ローレンスの遺族たちもこ制度を利用した)。
なにより重要なのは、セウォル号遺族たちが直接起訴権を持つのではないという点だ。法律で構成される独立した真相調査委に起訴権を与えようというのであり、これは私人訴追とはほど遠い。
さらには、遺族たちの要求通りでは「私的裁判」を認めることになるとか、司法権を侵害することになるという主張まで出てきている。まったく的外れな議論だ。真相調査委にいくら捜査・起訴権を与えても、裁判は厳然と裁判所で行われる。遺族たちは裁判権を要求したことなどない。
遺族たちが一部の推薦権を持つ真相調査委の委員に捜査・起訴権を与えたら、捜査・起訴の公正性が侵害されるという論理もある。しかし、捜査・起訴の公正性は(ローレンス事件で見られるように)捜査主体が容疑者側に偏る時に問題になる。容疑者側に有利になるよう捜査をいい加減にしたり、証拠が見つかっても目を瞑れば、事件は葬り去られ、これを正すことはとても困難になる。
逆に捜査主体が被害者側に有利になるように捜査を熱心に行ったら?
これはむしろすべての捜査に要求されるものだ。国家の刑罰権行使そのものが罪に対する応報の意味を持つためだ。ひょっとすると、意欲がありすぎて捜査対象者の人権を侵害したり、証拠をねつ造するなどの不法な捜査をしないか心配しているのだろうか。これに対しては裁判所の令状審査やマスコミの監視などの牽制装置が常に作動している。
結局、捜査主体が遺族たちの意を汲んで無理な捜査をするのではないかという論理は、犯人を必ず懲らしめようとする正義感あふれた映画の主人公のような刑事や検事は捜査から排除すべきだと言っているのと等しい。捜査主体が被害者と完全に絶縁しなければならないなら、国民すべてが被害者となる数多くの公益侵害事件(賄賂、国庫横領、脱税など)は誰に捜査できるのか疑問だ。
セウォル号事件では青瓦台、政府が調査対象であるだけに、むしろ大統領と与党が捜査主体の選定に介入することのほうが、より重要な公正性の問題を引き起こしかねない。李明博(イ・ミョンバク)大統領当時の青瓦台が調査対象になった「内谷洞(ネゴクトン)特検」の際、野党が特別推薦権を持ったのは、だからこそ理にかなっていた。
3. 青瓦台と執権与党がセウォル号特別法に対する今の態度を守ろうとするなら、遺族たちは18年過ぎても、真実の足元にもたどり着くことができないかもしれない。そこまでして大韓民国の恥部を隠したいのだろうか。遺族たちが疲れ果てセウォル号の記憶すら沈没するのを待とうというのか。今の混乱した事態の背景にそんな冷酷な計算がされていないことを望む。
ローレンス事件について付け加えれば、建築家を夢見たローレンスの名前をつけた王立学会建築賞が制定されるなど、各界で“忘れまいとする”努力が続いている。ジャマイカ出身の移民であるローレンスの母親は2013年に貴族の爵位を与えられ上院議員に就任し、人種差別問題解決に力を傾けている。
パク・ヨンヒョン探査・企画エディター piao@hani.co.kr
韓国語原文入力:2014.08.24 18:20